そうしていつもの攻防を繰り返しているうちに、マンションのエントランスホールからのチャイムが聞こえてきた。
雅行がドアの側のパネルから二言三言話してロックを解除する。
しばらく待っていると今度は部屋のチャイムが鳴り、雅行は少し緊張してドアを開けた。
そこには穏やかそうな表情を浮かべた青年が立っている。
「初めまして、草加と申します」
「あ、こちらこそ初めまして。あの、どうぞ……」
「失礼します」
草加を部屋に案内して康平とも挨拶を交わさせると、あとの接客は康平に任せて雅行はキッチンで三人分のコーヒーを用意し始めた。
その間に康平はカウンター上の水槽を草加に見せて、何やらあれこれと話をしている。
やがてトカゲの元気な様子に安心したのか、草加は康平に促されてソファに落ち着いた。
「この度は本当にありがとうございました。連絡をいただけて本当によかった」
「あれって、逃げられちゃったんですか?」
康平が草加の表情を覗き込みながら聞く。
「ええ、よく逃げ出してしまって。注意はしてるんですが、気がつくといつの間にかいなくなってて。放浪癖でもあるんでしょうかね」
はは、と軽く笑って草加はコーヒーを一口含んだ。
「でもいつもは庭ですぐに見つかるんですよ。それが今回はいくら探しても姿が見えなくて、駄目でもともとのつもりで掲示板を使ったんです。……正解でした」
そうして度重なる脱走事件の話を幾つか話して、カップのコーヒーがなくなった頃を見計らうかのように草加は「では、そろそろ……」と切り出した。
その言葉に促されて雅行はカウンターに向かい、水槽の蓋を外してトカゲを掌に乗せてやった。
小首をかしげるようにしてじっと雅行を見つめてくる。
「じゃあな」
軽くトカゲの頭を撫でると、雅行は草加の持参してきた小振りのゲージにそっといれてやる。
「元気でなぁ」
こんこんと指先でゲージの壁面を叩きながら康平も中のトカゲを覗き込んだ。
「草加さんがよければ、ですけど……。暇なときにでも遊びにきてください、こいつも一緒に」
な? とトカゲに向かって同意を求める康平に草加はにこりと笑って、
「ありがとうございます、ぜひ」
と答えて頭を下げた。
「あーあ、いっちゃったなぁ」
「そうだな」
ごろりとソファに転がって康平が大きく伸びをする。
それを横目に雅行は残されたカップを片付け始めた。
「雅行、こっちきて」
康平が起き上がって自分の隣をぽんぽんと叩く。
「ん?」
「いいから」
訝しげな顔をして隣に腰を下ろした途端、康平は雅行の肩にぐいと手をかけてその頭を自分の太ももの上に横たえた。
「寂しい?」
「ん……、少しな」
「でもきっと遊びにきてくれるよ」
「お前は……、いいのか?」
「ん? 全然かまわないよ?」
そう言ってじっと見下ろしてくる口元には嘘のない笑みが浮かんでいる。
―― いつもそうだ。
雅行はじっと黒い瞳を見上げる。
そんな雅行に康平は二、三度瞬きをした。
「どうした?」
いつも目が合うと先に視線を外す雅行がじっと見つめてくることに違和感を覚える。
「雅行?」
「お前、少しは自分のこと考えろよ」
「は? え?」
見上げてくる雅行の眉が僅かに顰められ小さく唇を噛んでいる。
「な、に……?」
「あんまり甘やかされると、かえって辛くなる」
「甘やかしてる、か? どっちかってぇと俺の方が甘えてるような気がするけど……」
しかし雅行は小さく首を振ってそれを否定する。
「さっきだってそうだ。また遊びに来いなんて、お前にとってはあんまりいいことじゃないだろう?」
「ああ、あれ? だって、その方が雅行が嬉しいかと思って」
「だから、それが自分のこと考えろって言ってるんだ」
「俺がヨウスケって名前で嫌な思いをするんじゃないかってこと?」
あまりにストレートな物言いに一瞬雅行の目が細められる。
そうして小さく溜息をつくと、身体を起こして少し乱れてしまった髪をかき上げた。
途端に強い力で抱き寄せられて「わっ」と驚いた声があがる。
「俺、けっこういつも自分のこと優先で考えちゃってるよ?」
「そうは思えない」
「俺さ、ずーっと雅行のこと好きだったの」
「…………」
「学生の頃から、ずっと。でもお前には洋介がいたじゃん。その頃のことを考えると、今こうしてるのってすっごい奇跡にも思えるわけ」
雅行は半ば背後から抱きつかれたままの格好で耳元に康平の声を聞きじっとしていた。
「だから絶対に雅行のこと離したくないの。お前が俺の側にいて楽しいとか嬉しいとか感じてくれるんだったら、俺……、そのためだったら何だってしちゃうよ?」
「それでお前が自分を犠牲にしてたりしたら意味ないだろう」
「犠牲なんて思わないけどな」
「けど、この2週間、明らかに嫌な思いしてただろ? さっき草加さんに言ったことはまたそれを繰り返すってことじゃないないのか?」
「まあ、確かにあの名前にはやられたって感じだったし……、大人気ないこともしちゃったけどさぁ……。雅行が自分から連絡取ってくれたから、吹っ切れた感じ?」
「もし連絡を取らなかったら?」
「んー、どうかな。俺は俺でけっこう愛着湧いてきてたし……、たらればの話って考えたってしょうがなじゃん?」
抱きしめてくる腕に少し力がこもる。
「やっぱり……、甘いよ。お前」
「そう? でもそれは俺のためだよ?」
「…………なんか、きりのない話だな」
雅行の苦笑に康平もつられる。
「雅行が側にいてくれるだけで、俺ってばオールオッケーなわけ。昔のお前も、今のお前も、ぜーんぶひっくるめてお前が好きなの。分かる?」
「…………」
「例えさ、今でも洋介のことが残ってるとしたって、それは当たり前のことだと思うよ。俺だって、今まで付き合ってきたやつのこと綺麗さっぱり忘れてるわけじゃないもん」
「それは……っ」
「いいから聞いて。でもさ、俺はそういう恋をしてきた雅行が好きなの。お前、俺に言った言葉、覚えてる?」
「……なに?」
「『洋介と一緒にいたこと、後悔したくない』って」
「ああ……、言ったな。その直後に告白された」
「だって、あの時のお前、すっげぇかっこよかったもん」
「ぼろぼろだったのに?」
「そ、ぼろぼろだった雅行に惚れたの」
「甘い上に、ヘンだな、お前」
「いいの、それが俺だから」
そうして康平は一度雅行を腕から解放すると自分の方に振り向かせて唇を重ねた。
一瞬だけ触れさせて、そのまま唇のつくかつかないかの距離のまま囁く。
「もう、この話きりないからおしまい」
そう言ってそっと雅行の眼鏡に手をかけてそれを外すと、今度は深く重ねて舌を絡ませてくる。
「ん……、んっ」
少し冷たい手がシャツの中に差し入れられて雅行は僅かに身体を振るわせた。
唇を重ねたまま、指は心得たように少しの間背中と脇腹を彷徨いやがて胸の先端に触れてくる。
雅行の吐息がだんだんと甘くなり、少し息苦しいのか康平の肩にかけた手に力がこもる。
ようやく唇を離した康平はそのまま頬、首筋、耳とキスをしていき、肌の上を滑っていた指はいつの間にか雅行のシャツのボタンを外しにかかっていた。
「ちょっと、……おい」
「ん?」
「待てって」
「やだ」
「まだやること残ってるし……」
「こっちが先」
「こうへ……、やっ」
「ね?」
「だから……っ、ちょっ……」
「雅行ぃ、それ本気で抵抗してる?」
「…………っ」
「ん?」
「…………ない」
「聞こえなーい」
「してないってばっ」
「だよな?」
「………………」
「だぁい好きだよ、雅行」
... 第一部 end
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(連載期間:2005/6/11〜2005/6/14)