証の鼓動
 

 

菊池がドアを開けると角松が「おう」と言って机から視線を投げてよこした。
濃紺の作業服に白い包帯があまりに映えて自然とそこに目が行ってしまう。
「艦長に休んでいろと言われたんじゃないのか?」
後ろ手にドアを閉めて、菊池は半ば呆れたような表情をしてドアに寄りかかった。
「先にやっておきたいことがあってな。で、悪いがお前にも手伝ってもらおうと思って」
「休む方が先だと思うが?」
「いや、こっちの方が先だ」
「一体なにを?」
角松は席を立つとベッドの方に移動してそこに腰を下ろした。
「とりあえず座れ」
顎を動かして菊池を机の方に促す。
言われた通り菊池は机について椅子だけを角松の方に向けた。
「これから話すことをノートに写していってくれないか」
「報告書、か?」
「ああ。大体のことはさっき口頭でも報告したが、まだ細かいことがいろいろあるからな」
「それなら後でもいいと艦長だって……」
「今のうちにやっておきたい。自由に動けるようになったら忙しくて報告書どころじゃなくなるだろ?」
菊池は仕方ないなとばかりに一つ息を吐いて、「分かった」と机に向かい筆記用具を手に既に用意されていた用紙に目を落とした。
「悪いな。この手じゃ飯は食えても字までは上手く書けない」
報告書だったら手書きより資料室のパソコンを使った方がいいのではないかと思うのだが、元来パソコンにはあまり手を出したがらない角松だ。
それに今の状態では資料室よりも自室にいた方が気も休まるのかもしれない。
「いいぞ、始めよう」

 

角松は菊池の手が追いつくようにか、それとも一つひとつの事柄を慎重に思い出しているのか、ゆっくりとした口調でぽつりぽつりと話を進めていった。
そこに語られる内容に菊池は神経を集中させていく。
実際に満州で起きた事件なのに、自分たちの知っている歴史とは全く違うそれはまるで物語を聞いているような気分になってくる。
しかし全ては起こってしまったことで、菊池にとっては角松の怪我がそれを裏付ける証拠なのだ。
確かに横須賀に来る以前から既に歴史は変わり始めていた。
しかもここまで事が大きくなってしまっては、どう足掻いても修正など不可能だろう。

『みらい』に対して帝国海軍が求めるもの、本来の自衛隊として忘れてはならない自分たちの立場、それを許してくれない現実。
酷くもどかしかった。
こんな時代に放り出されて少しずつ動きを封じられていくもどかしさ。
次第に変わっていく世界を見せつけられる中で、残されている自由選択は『みらい』の自爆……。

「雅行……?」
「え?」
ふいに名前を呼ばれて菊池ははっとして振り返った。
いつの間にか自分の考えに没頭して手が止まっていたらしい。
「ああ、すまない。続けよう。それとも少し休むか?」
「そうだな」
角松の同意に菊池はペンを置いて身体をベッドの方に向けた。

「なあ、雅行。家族の顔、すぐに思い出せるか?」
「ん? 当たり前だろう」
何を聞くんだと菊池が角松の顔を覗きこむような仕草をした。
「俺は……、思い出せなかった」
「洋介?」
膝に肘をつき頭を抱えるように角松は下を向いてしまう。
「夢の中で、俺は家族の顔を思い出せなかった」
「夢? なんだ、夢の話か」
菊池がほっとしたように口元を綻ばせた。
「なんだか随分と気弱になってないか、お前らしくもない」
そんな言葉に角松は視線だけを上向かせて苦笑する。

「なあ、雅行。俺達の21世紀は、どうなっているんだろうな?」
「……どうだろうな」
「みんな、元気でいてくれるといいな」
ふいに角松の声音に優しい色が浮かんだ。
菊池はその声にはっとするが視線を伏せてしまった角松の表情を見ることはできなかった。
ただ口元が動くのだけは分かる。
「イージス艦一隻がまるごと行方不明だなんて、前代未聞だろうな」
「ああ、大騒ぎだな」
「他の艦は無事だったんだろうか?」
「もしかして別の時代に飛ばされてるかもしれないぞ?」
「江戸時代とか?」
「もっと前の平安とか」
「平安時代に21世紀の艦か。なんか妙だな」
そう言って、はは……と軽く笑う角松に菊池は眉根を寄せた。
角松の様子が普通でないのが手に取るように分かってしまう。
今だって、無理に笑おうとしているのだ。

「洋介、もう休め。良くなったらまたいつでも付き合うから」
有無を言わせないかのように菊池は机の上のペンや用紙をゆっくりと片付け始める。
と、ベッドの軋む音がして、それに振り返ったときには既に背後にいた角松の左腕が菊池の身体を捉えていた。
「洋介、……無茶はするな」
自分の身体を抱きこんでいる左腕に手を添えてぽんぽんと宥めるように数回叩く。
しかし腕は菊池を解放するどころか、かえってぎゅっと力を込めて抱きしめてきた。
首筋に顔を埋めている角松の吐息が熱くかかる。

「草加に撃たれて意識がだんだん落ちていく中で、いろいろなことが頭を過ぎった」
「うん」
「親父や家族のこと、『みらい』やみんなのこと、雅行のことも……」
言葉もなく菊池は頷く。
「これは必然なのかと。親父が死んでしまったから俺は生きてはいけないのかと、そう思った瞬間、無性に悔しくなった。
あのとき草加を助けたことは後悔していない。だが、あいつが考えてることにも気づかずやすやすと『みらい』から出してしまったことは……」
「洋介」
とにかく横になれと言おうとした。
必要ならゆっくりと休めるように医務室で鎮静剤のようなものを処方してもらうことも考えた。
しかし角松はそれを遮るように言葉を重ねた。
「俺はやつの理想なんか認められない、……認めたくなんかない!」
僅かに震えている声に、菊池は何も言えなくなる。

確かに全てはあの時から始まった。
一人の命を助けたことが日本のみならず世界の行く先を、そして現在に生きている人々の運命さえも変えてしまったのだ。
それほどに大きなものを、この男一人で背負うことができるだろうか。
「洋介、今はとにかく休め。草加を捕まえるんだろ? だったらまず身体を治さないことにはどうしようもない
これからのこと、俺たちにも一緒に考えさせろよ。な? たった一人でなんとかしようなんて思うな」
菊池はもう一度宥めるように角松の左腕に手をかけてみるが、その腕は緩む気配を見せない。
それどころか、力が篭ったかと思うと首筋に温かいものが触れてくる。
「洋介……?」
「あのとき、もしも生きて『みらい』に戻れたら真っ先にお前を抱こうと思った」
「……もっとましなこと考えろよ」
苦笑混じりに答えると、同じように角松も笑ったように感じた。
首筋にあったものが今度は耳朶に移って柔らかく噛んでくる。
「欲しい」
低い角松の囁き声にぞくりとするものを感じて菊池は肩を竦ませた。
「だから腕……」
咎めるような声を無視して角松の舌が耳に入り込んでくる。
「ちょっ……、洋介っ」
「駄目か?」
「駄目とかそういうんじゃなくて」
「大丈夫だから」
「まだ腕吊ってるくせに何が大丈夫なんだよ」
そんな言葉を受けてか、角松は一度菊池を解放すると腕を吊っていた三角巾を取り去ってしまった。
「…………ほら」
「ほらって、お前」
解放された瞬間に菊池は振り返って真正面から角松を見据えた。
しかし菊池の視線に構うことなく角松はゆっくりと顔を近づけていき、硬く結ばれている唇に軽くキスをしてくる。
何度かの触れるだけのキスをしたあとで、「抱きたい」という囁きとともにもう一度抱きしめられた。
しかしそれが左腕だけなのを感じて、やはり右腕を上げることは何かしら支障があるのだろうと思うとどうしても気持ちにブレーキがかかってしまう。
だが角松の身体は既に欲情しているらしく、その硬い反応は菊池にも分かるほどにはっきりとしていた。
触発されるように菊池の身体も熱を帯びてくる。

「確かめたいんだ。自分は生きてるんだと、確かめたい」
耳朶をくすぐるようにちらりと舌が動く。
「……雅行を感じたい」
直接脳内に流れ込んでくる言葉に、菊池は答え代わりとして軽いキスを送った。

 

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(5.24.2005)
 

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