オレは何をしているんだ?

何を言うつもりで?

憎んで当然の相手。

今はなんの関係もないはずの相手。

なのに、なんで……?

 

なんで、こんなに……。

 

 

 

「御堂さん、……あなたに、会いたい」

 

 

 

 

 

 

暗い部屋の中、とうに深夜を回っているというのに眠気は一向に訪れない。
アルコールを飲めば眠れるかと思ったが、生憎冷蔵庫にはビールもチューハイも入っていなかった。
ふっと小さなため息をついて立ち上がり冷蔵庫の扉を閉める。
ついで視線はシンク下の扉に向けられた。
あとこの部屋にあるアルコールはそこにしまわれているワインだけだ。
が、それを開ける気にはなれなかった。
仕方なくベッドに戻って横になる。

閉じられたカーテンの隙間から月明かりが射し込み、床に一条の筋を描いているのをぼんやりと眺めた。

 ―― 御堂さん……。

月明かりは彼を思い出させる。
いつかのホテルで見た御堂の寝顔が脳裏にちらついた。
青白い月明かりに照らされた彼の顔は静かで穏やかで、思わずその肌に指を滑らせたくなった。
思い返せば、あんなふうに彼の髪に触れたのはあれ一度きりだった。
もう一度、触れられるだろうか。
あんな穏やかな寝顔を、もう一度見られるだろうか。

明日。
いや、もう「今日」だ。

数時間前。
一ヶ月ぶりに聞いた御堂の声。
『はい』
それが例え電話越しだったとしても克哉の心を震わせるのには充分だった。
『あなたに、会いたい』
自分でも情けないほどにか細い声に応えたのは無言の時間だった。
高鳴る心臓の音を無視して、克哉は懸命に携帯の向こうの音を感じ取ろうとする。
微かな息遣いでもいい、それが無理なら彼の背後にある雑音でもいい。
とにかく彼がこの小さな機械の向こうに存在しているのだという実感が欲しかった。
誰もいない公園で、一人じっと携帯を耳に押し当てる。
どれほどの時間をそうしていたのか。
やがて、ぽつりと声が聞こえた。
「明日、いつもの時間と場所だ」
「え?」
待ち望んでいた御堂の言葉に慌てて携帯を握り締めた。
「御堂さんっ!?」
しかし克哉が呼びかけたとき、既に通話は切れていた。

「御堂さん……」

ツーツーという無機質な電子音に呟く。
「御堂さん」
胸が痛かった。
何かにぎゅっと掴まれたように痛み、これ以上ないほどに鼓動が踊っている。
「御堂さん、御堂さん」
呟いていなければ胸が押しつぶされそうだった。

明日。
いつもの時間と場所。
会える。
御堂に、会える。
そのことが克哉の全身を捉え、人気のない公園に一人佇ませ続けていた。

 

眠れるはずがないのは分かっている。
御堂に会えるというだけで気持ちが昂ぶり、今すぐにでも約束の場所に向かいたくてたまらなくなっている。

自分の中で止まっていた時間が再び動き始めた。

 ―― どうして?

何度も何度も自分自身に問いかけた。
どうして会いたい?
あれだけのことをされて、本気で嫌だったはずなのに。
「あんな……」
全てが無理やりで強引で克哉の意向などおかまいなしだった。
人前で自分の意思とは無関係に射精されられるなど、まさか自分の人生にそんなことが起こるとは普通考えないだろう。
ましてや同性の男に犯されるなど……。
思い出すだけでも羞恥に心が震える。
それなのに、脳裏に蘇ってくるのは行為に対する嫌悪ではなく翻弄されていたときの熱い身体の疼きだった。
御堂にもたらされた快感は初めて経験するものばかりで、ひたすら彼に縋りつき失神してしまうほどの激しい快感が自分の中に潜んでいたのだと見せ付けられた。
そのたびに侮蔑の言葉を浴びせられ、「違う、違う!」と否定していたはずだった。

触れられれば反応するのは当然だ。
だから悪いのはオレじゃない!

けれどそんなことは言い訳にすぎないのだといわんばかりに、御堂にされたことを思い出すと克哉の身体は勝手に反応を始めてしまうのだ。
じりじりとそこに熱が集まり、やがてはっきりとした形を成していく。
そうなってしまえば自分で処理するしかなくなって、克哉はまるで自慰を覚えたばかりの中学生のように自己嫌悪に苛まれながらおずおずとそこに手を伸ばすのだった。
目を閉じると浮かぶのは御堂の姿だ。
次第に追い詰められる中、御堂の手と唇を想像して興奮はさらに煽られる。
ぎゅっと閉じた瞼の奥、克哉によって描き出される御堂は静かで穏やかで、そして泣きたくなってくるほど優しかった。

 

 

 

明け方、やっと少し眠っただけで携帯のアラームが鳴り始めた。
目が腫れているのか瞼が重い。
シャワーを浴びて身支度をして、部屋を出る前にもう一度鏡を見てみる。
少し水で冷やしたくらいでは瞼の腫れはひかなかった。
それでも約束の時間までには治るだろうと小さく溜息をつく。
こんな顔の自分など、御堂に見せるのは嫌だった。

その日、一日。
克哉は何度も時計を見ながら過ごすはめになった。
時間の経つのが異様に遅く感じる。
当然、デスクワークにも営業にも身が入らず、本多からは何度も背中を叩かれ、片桐からは「気分が悪いなら早退しますか?」と心配された。
最悪に長い一日を過ごして、午後4時過ぎに取引先のビルを出た克哉は片桐に連絡を入れ体調が悪いのでこのまま直帰すると告げた。
『気をつけて帰ってくださいね』という心配そうな片桐の声に、嘘をついてしまったことに対する後ろめたさがチクリと刺さった。

やがて到着したホテルのフロント前。
大きな観葉植物に身を隠すようにして腕時計を見れば約束の時間まであと5分と少しだ。
もう御堂はここの部屋のどこかにいるだろう。
逸る気持ちと躊躇う足に少しイラつく。
もう自分が分からなかった。
不思議なほど感情が欠落していた一ヶ月。
そして御堂と約束をした昨夜からは彼とのことを否定して肯定して、その繰り返しで心の中はもうぐちゃぐちゃだ。
それでも最初の一歩を踏み出してみれば、それはすぐに早足になりフロントへと向かうのだった。

 

 

 

「み…どう……さん」
開かれたドアの前に御堂がいた。
少し着崩した私服のせいだろうか、雰囲気が柔らかく見えるような気がした。
しかしそれは一瞬のことで、克哉をじっと見つめてくる瞳にそんなものは感じられず、顎のラインは以前と比べてさらにシャープになっている。
この人はどんな一ヶ月を過ごしてきたのだろうと思った瞬間、無言で腕を取られ部屋の中に引っ張り込まれていた。
「御堂さん」
問いかけるように声をかけるが返事はない。
そのままドアの前に立ち尽くす克哉を残して、御堂は窓際に歩み寄り薄いレースのカーテン越しに眼下のビル群を見下ろした。
どうすればいいのか分からない克哉はゆっくりと部屋の中に進んでいき、書き物用の机の側で立ち止まった。
机上にはワインが1本とグラスが二つ置いてある。
既に御堂が飲んでいたらしく、片方のグラスの底には僅かに赤い液体が残されていた。
「なぜ、私の携帯に連絡を?」
「え?」
ワインのラベルに気を取られていた克哉は、ふいの問いかけにすぐ答えることができなかった。
「なぜ私の携帯に連絡を入れてきた?」
苛立つような語調に背筋がぴりぴりとする。
「葉書に……その番号が、書いてあったので……」
御堂の背中をじっと見つめながら答えた。
少し喉が渇いているせいか言葉が掠れる。
「この場所を聞いて、それでも来る気になったのか?」
「…………はい」
「ここに来れば何をされるかぐらい、分からないわけではあるまい?」
「それは……っ」
「それでも君はここに来た。……そうだな?」
「…………」
「どうなんだ?」
「…………はい」
消え入りそうに細いその返答を聞いて、御堂は窓を離れ克哉の目の前に立った。
ワインボトルを手に克哉にもグラスを取るよう視線で促してくる。
慌てて取り上げたグラスに御堂がワインを注ぎ始めた。
半分ほど満たされたところで僅かにボトルを回して雫を切り、そのまま自分のグラスにも同じだけ注いでボトルを置く。
その一連の動作と揺れる深紅の液体に目を奪われているうちに、御堂は一口ワインを含んで吐息をついていた。
克哉もゆっくりとグラスに口をつける。
すぐには飲み込まず、しばらく口内で転がすように味わってみた。
プロトファイバーの営業を始めたばかりの頃、ワインバーで会った御堂の友人たちが教えてくれたことだった。
僅かに舌を刺す酸味がやがて柔らかくなりすっと喉を通っていく。
鼻から抜けた香りは思いのほか爽やかだ。
「おいしい」
思わず克哉の表情が緩んだが、それをぴしゃりと抑えつけるように御堂の言葉が投げられた。
「君は私に抱かれたいのか?」
「……っ」
びくりとした瞬間、グラスの中の液体が僅かに揺れた。
御堂は片手をポケットに突っ込んで、じっと自分のグラスを見つめている。
「オレは……」
必死になって何かを伝えようとするがそれを言葉にすることができない。
縋るように御堂を見ても、彼は全く気づいていないのか克哉と視線を合わせようとはしなかった。
「葉書に番号が、あって……、オレはあたなに、……会いたいと、思った。…………それだけ、です」
「なぜ会いたいと思う」
変わらず視線を伏せたまま御堂は呟く。
「なぜだ?」
「…………」
「答えられないのか」
「自分でも、……分かりません。どうしてそう思うのか」
「ふん……」
小さく鼻先で笑って、御堂はワインを一口煽るとまだ中身の残っているグラスを置いてバスルームに向かった。
ドアの前で振り返りじっと克哉を見つめてくる。
「私はシャワーを浴びる。抱かれたいのならそこにいろ。帰りたいのなら、……勝手に帰れ」
そう告げると御堂はドアを閉めてしまった。

「御堂……さん?」
いきなり取り残されたような孤独な気分になる。
しばらくするとシャワーを使う音が聞こえてきた。
何かを考えなくてはいけないのに、細かいシャワーの音が思考を分断する。
そっとグラスを置いてベッドの端に腰掛けた。
どうしてと問いかけられても答えられない。
ずっと自問自答してきたことなのだ。
仕事の上での御堂は文句なく尊敬できる。
理想であり目標にしたいと思った。
またそんな想いを無邪気に口にできる御堂の部下を羨ましいとも思った。
そしてなにより、営業マンとしての克哉を認めてくれていた。
なのに一転、プライベートになると全く理解できなくなってくる。
が、理解できないはのは自分も同じだった。
繰り返しあんなことをされて弄ばれてきたのに、どうしても憎いと思いきれなかったのは仕事中の御堂を知っているからだろうか。
しかしそれらを天秤にかけたとしても……。
ただ一つ考えられることはあるが、それを認めるのはどうしようもなく嫌だった。
認めたくないことだった。

縛られ、いたぶられた挙句犯されて、それでもなお会いたいと思うのは……。
 ―― 好き、だから。
が、克哉はその言葉を咄嗟に打ち消す。
それを認めたら自分は御堂の言うとおり、男に嬲られて悦ぶ単なる淫乱な人間になってしまうような気がした。
あんなことをされ続けて好きになるなんて普通じゃない。
だけど、会いたい。
やはり堂々巡りになってしまう。

ふと気がつけばシャワーの音はやんでいた。
もうすぐ御堂が戻ってくる。
それでも克哉はベッドに座り続けた。
帰る気は毛頭なかった。
どんな理由であっても、自分が彼に会いたいと思っているのは事実なのだから。
かちゃりと軽い音がしてバスルームのドアノブが回った。
途端に克哉の心臓が跳ね上がり全身が粟立つ。
緊張に身体を硬くしてドアを見つめていると、白いバスローブをまとった御堂が出てきた。
ちらりと克哉の姿を認めて一瞬眉根を寄せる。
が、無言でベッドの横を通り過ぎるとグラスに残っていたワインを一気に喉に流し込んだ。
「服を脱げ」
「え……」
言われた言葉は分かったが思わず聞き返してしまう。
しかし御堂は同じことを言うつもりはないらしく、黙ったまま空になったグラスにワインを注ぎ足していた。
克哉は一つ深呼吸をして立ち上がる。
いつもそうしているように上着を脱ぐと隣のベッドの上に置いた。
続けてネクタイ、シャツ、ズボン……。
全てを脱いでベッドの端に腰をかけ御堂の言葉を待った。
彼に背中を向けているせいで今何をしているのかは分からない。
ワインを飲んでいるのか、言われるままに裸になった自分を見ているのか。
動く気配もなく指示もない。
長い沈黙が痛かった。

やがてグラスを置く音がしたかと思うと、「目を閉じろ」と短い指示が飛んだ。
ツキリと胸の奥に痛みが走る。
が、克哉はそれを無視して目を閉じた。
背後で御堂の動く気配がして、近くに衣擦れの音がしたかと思うとふわりと柔らかいものが目を覆った。
「御堂さん?」
不安に駆られて何かを掴もうと咄嗟に手を伸ばすがそれは虚しく空を切っただけだ。
「こんなこと、今さら初めてでもないだろう」
きゅっと頭が軽く締め付けられ視界を完全に奪われる。
「来い」
乱暴に腕を引っ張られてベッドに上げられた。
「み、御堂さんっ」
バランスを崩して慌てて御堂のいると思われる方に手を伸ばす。
心地よい手触りのローブが指先に触れて思わずぎゅっと掴んだ。
「御堂さ、ん……っ」
いきなり耳朶に熱い湿ったものを感じて息を呑む。
軽く噛まれて思わずそれから逃れようと首を竦めてしまう。
「御堂さん」
「なんだ」
すぐ側で吐息とともに返事が返ってくる。
「あなたは、なぜオレが連絡を入れたかを聞きましたよね」
「ああ」
「だったら……、オレもあなたに聞きたい」
その間も御堂の舌は耳朶を探ってくる。
「どして、オレの葉書にだけ携帯番号を、……書いた、んです…か」
問いかけてしばらく待ってみても御堂がそれに答える気配はない。
「御堂さん」
ぎゅっと掴んでいた、恐らく御堂の左腕をさらに強く掴む。
「答えてくださいっ」
ぴたりとくっついていた御堂の気配が一瞬離れた。
「御堂さ…、ん……っ」
ふいに唇が塞がれて何かが口内に流れ込んできた。
急なことに驚き軽くむせてしまうが御堂はそれにかまわずどんどんそれを飲ませようとする。
 ―― ワイン?
それはさっきのワインの味だった。
その正体が分かると多少の落ち着きが出てくる。
そんな克哉の様子を見て、御堂は何度も何度も口移しにワインを飲ませてきた。
上手く飲みきれなかった雫が唇から喉を伝って胸の上に落ちていく。
その僅かな感覚がくすぐったくて身を捩るが、御堂は強引に唇を求めてその行為を繰り返していた。

 

2007/08/10
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