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執事
継承式のあったその夜、主だった使用人たちが居間に集まり屋敷の新しい主となったダンテを待っていた。
バージルも執事の隣に位置を取り、静まり返っている部屋の中でじっと自分の靴の爪先に視線を落としている。
やがて後見人役と仮とはいえ長年屋敷の主の役目を終えたダンテに付き添われてやってきた新主人は、薄暗い室内の明りのせいもあるのか目の下にほんの少しの疲れを見せていた。
正式に貴族と認められたとはいえまだ18歳、しかもこれまで子どもだという理由で社交関係には一切関わることが許されていなかった。
それがいきなりあちこち引きずりまわされ大人の態度を要求されるのだから疲れも出るだろう。
後であれこれと愚痴を聞かされる羽目になるかもしれないが、今日くらいはそれもいいだろうとバージルは静かに胸の奥で苦笑した。
大勢の前に立ったダンテは一同を見回してからゆっくりと息を吸い込み口を開いた。
「本日、中央教会において伝統あるこのラティーニ地方の領主の任を拝命し、今後は領民の安寧で幸福な生活のために己の人生を捧げる決意を宣誓してきたことを伝える。また同時にこの屋敷の主として古来より伝承されてきた誇りと名誉と財産を受け継いだことを宣言する。皆においてはその忠誠心に期待し私もその期待に応えるべく努力を怠らないことをここに誓うものとする」
ダンテが室内の一人一人に視線を合わせながらそれだけ言いきると同時に使用人たちは一斉に最敬礼にまで頭を下げその言葉を受け入れた。
そうして再び彼らが揃って頭を上げた時点で、爵位の継承式は全て終わったことになる。
大きな溜息をついて後ろを振り返ったダンテは「これで全部終わりだよな?」と晴ればれとした笑顔を浮かべた。
「ああ」
一歩下がった場所でその様子を見守っていたダンテもその態度の一変に苦笑を隠しきれないまま頷く。
「ってことで、これからもよろしく」
居並ぶ真面目な面持ちの使用人たちに緊張感から解放されたダンテが満面の笑みを向ければ、室内の雰囲気も一気に緩みあちこちでほっとした吐息が漏れ出す。
「お誕生日おめでとうございます、御主人様」
一番近い場所にいた執事がそう言うとそれに続けてあちこちから「おめでとうございます」という言葉が上がる。
そんな周囲に倣ってバージルも祝いの言葉を口にしたのだが、それがダンテの耳に届いたらしく小さなウィンクを返して何やら小さく唇を動かしてきた。
おそらくダンテも同じ言葉を呟いたのだろう。
その背後にいるダンテもバージルを見つめて僅かな笑みを向けてくる。
そんな二人にあからさまに応えることはできないものの、それでもほんの少しだけ頷いたバージルにダンテは満足そうな笑顔を浮かべていた。
そうして祝いの拍手がやんだ頃、ありがとうとそれに応じたダンテはちらりと執事に目を向けて真面目な顔になった。
「それからもう一つ大事なことがあるんだけど」
と言って視線で執事に前に出るように促す。
「祖父の代から仕えてくれてたけど、彼の仕事も今日で終わりだ」
ダンテの言葉に老齢の執事が主に向かって小さく頭を下げると、それに倣って使用人たちもつい頭を下げてしまう。
彼が長年務めてきた職務を辞するのは大分前から言われていたことだった。
年齢的にもそろそろ身体の自由が効かなくなってきたところがあるため、周囲に迷惑をかける前に身を引きたいと申し出ていたのだ。
これまでは正式な主人がいなかったため多少の無理をして務めていたが、こうしてダンテが後を継いだ以上自分は引退してもいいだろうとの判断だった。
もちろんダンテはできることなら引き止めたかったものの、昔の颯爽とした執事の姿を知っているだけに時折足を引きずる今の彼の姿を見ては何も言うことができなくなっていた。
そこで出てくるのは後任が誰かということで、それをいまだ聞いていない大半の使用人たちは固唾をのんでダンテが口を開くのを待っていた。
そんな雰囲気をダンテも感じていたのだろう、執事と目を合わせ軽く頷く。
と、執事もそれに応えて頷きながら隣に立っていたバージルに小声で囁いた。
「バージル、一歩前に出なさい」
いきなりのことにわけが分からないバージルはきょとんとしたまま執事を見つめた。
しかし執事は何も答えることなく「早く」とそれだけ言って軽くバージルの背中を押してくる。
「あの……」
この場で前に出されるなど、さすがに事情を呑みこんだバージルは慌ててダンテを見てその驚いた視線で説明を促す。
けれどダンテはにこりと笑い、そんな一幕を見つめていた使用人たちに告げた。
「後任の執事はバージルに任せようと思う。異論のある者は?」
もちろん誰も口を開く者などいなかった。
こういった場で主に進言できる者など上級使用人の中でもほんの数名しかいない。
しかも今回のことはその数名とダンテが既に話をして決めていたことだったのだ。
どこからも異論が出るはずもない。
ただし一人を除いては。
「ダンテ!」
その一人、バージルが珍しく勢い余って口走ってしまった言葉に周囲が一瞬凍りついたように動きを止めた。
さすがに執事も驚きの表情を見せている。
いくらしょっちゅうダンテの側にいたとはいえ、使用人が主を呼び捨てにしたのだから当然だった。
「申し訳……」
その失態に今さらながら気付いたバージルは一つ深呼吸をしてから深々と頭を下げて謝罪の言葉を口にしかける。
が、近づいたダンテはそれを最後まで言わせず無理やりのように頭を上げさせた。
「謝る必要ないだろ?」
そうして手を伸ばすと、バージルの顔のほぼ左半分を覆っていた眼帯をゆっくりと外し始めたのだ。
「……っ」
一瞬、その手を振り払おうとバージルの手が上げられかけたが失態を見せた直後ということもあり、高まりかけた感情は抑え込まれ僅かに指先が動いただけに留まった。
しんとした室内に小さな衣擦れの音を立てて眼帯が落ちると、仄かにオレンジ色がかった燭台の灯りが俯いたバージルの顔を照らし出す。
「もう隠すのはやめよう」
少しでも周囲の視線から顔を隠そうとしていたバージルの両頬を捉えて、ダンテは自分の半身である兄の顔を上げさせた。
途端にそれを認めた使用人たちが息を呑む。
「見ての通り、俺たちは双子だ」
そこにいる全員に見えるように並んで立ち、ダンテははっきりとそう言った。
まっすぐに顔を上げているダンテとやや視線を落としているバージルではあったが、そのそっくりな顔立ちに居合わせた人々の間には言葉を口にはしないものの隣同士で視線を合わせたりもっとよく顔を見ようと背伸びをしてみたりと動揺が広がっていった。
「黙っていたことは悪かった」
しかし頭を下げたダンテの姿にそんなざわついた空気はぴたりと止まる。
「ここに来るまでは一体どちらに?」
「俺が預かっていた」
執事の問いに答えたのはそれまで黙って様子を見ていたダンテだった。
全員の視線が一気に集まる。
「生まれてすぐに俺の屋敷へ連れて行った。俺がここに来てからは湖の側の塔に」
「それは先代様もご承知のことで?」
「そうだ、先代の意思だった」
「でしたら御主人様」
執事はダンテに向き直り小さく頭を下げた。
「御主人様が謝罪をされる必要は全くございません。この屋敷のことは主である貴方様がたがお決めになること、先代様も御主人様もそう望まれたのであれば私どもはそれに従うだけでございます」
そんな執事の言葉にダンテの表情も緩んだものの、それはほんの一瞬のことだった。
「でも不満はないのか、仕方なしに子どもを手放した親だっているんだろう? それを領主自らが破っていたんだぞ」
バージルにとってもそれが一番の不安だった。
下の者が耐え忍んできたことを上に立つものが易々と無視していいわけがない。
「不満がある者は言ってくれ。領主自らが決まり事を無視していたんだから見放されても当然だと思う」
そう言ってしばらく無言でみんなの顔を見回すが、当然誰も口を開く者はいなかった。
けれどこんな場所で使用人が不満を言えないのはダンテとて充分承知している。
「よく考えてくれ、今後はバージルに執事を務めてもらう。それが許せないなら屋敷を出て行ってくれて構わない。もちろん次の仕事は保障するし、家族が一生暮らしていけるだけの援助もする。だから……」
「お言葉の途中で失礼ですが、御主人様」
珍しく話の途中で口を挟んできた執事にダンテが「ん?」と視線を向ける。
「さきほど申し上げました通り私どもは御主人様に従うものでございます。それに……」
控える一同を見回してから執事は言葉を続ける。
「反感を覚悟の上でこうしてお話しくださったということは、それをなんとか変えてくださるおつもりではないのでしょうか?」
「ああ、変えたいと思ってる」
「でしたらそうなさって下さいませ。この屋敷に仕える者は双子の伝承につきましても皆少なからず異論を持っております。バージル……いえ、失礼いたしました。バージル様のことにつきましても屋敷の外に話を漏らす者はいないでしょう」
そうして穏やかな視線を向けてきた執事はバージルに対して小さく頷く。
同時に他の者たちも笑みを浮かべたり頷いたりしながら肯定の意を表していた。
ふいに柔らかくなる室内の雰囲気にダンテはほっと吐息をついて小さく「ありがとう」と呟いた。
しかしバージルは自分のことを話されていただけに何も言うことができなくなっているらしく、戸惑ったままの表情でダンテを見つめてくる。 それに気付いたダンテは、
「ってことで、バージル」
と一転、からっとした声音をバージルに向けた。
「後任の執事はバージルだ」
「だが他に……」
「いない。少なくともバージルみたいに何でも知ってる上に算術の得意な者はこの屋敷にはいないと思うよ。マナーの知識も完璧だしさ」
ね? とダンテが執事に同意を得ると当然だといったふうに執事も頷く。
いつの間にか部屋の壁際まで後退して腕を組み様子を見ていたダンテに困った視線を向けてみたが、彼は既に自分の役目は終えたとばかりに小さく肩を竦めてみせるだけだった。
「バージル」
ダンテに顔を覗きこまれて視線を戻せば、目の前の青く透き通った瞳が自分を見つめていた。
「大丈夫だよ、バージル」
一体何が大丈夫なのかと言ってやりたいが、ダンテの自信に満ちた表情は無意識のうちにバージルの口元にも薄らとした笑みを浮かべさせていた。
まったく、と心の内で呟いたバージルは無言で頷く。
その瞬間、ダンテはバージルに抱きついて歓喜の声を上げていた。
大勢の前でこんなことをされて恥ずかしく感じるものの反射的にバージルの腕はダンテの背中に回される。
そのまま壁に寄りかかっているダンテを見れば、やはり同じように笑みを浮かべた瞳が嬉しそうに見返してきた。
誰からともなく拍手が起こり室内が賑やかな雰囲気に包まれる。
また一歩、それまでと少し違う道を歩み始めたバージルはどこかこそばゆい感覚を覚えながらも満ちる拍手の中でダンテの肩に頬を埋めた。
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2009/08/29
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