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「バージル」
とんとんと軽い足音が階段を登ってきてひょいとダンテが顔を覗かせる。
初めて会ってから数日が過ぎていた。
誰かに顔を見られてはいけないのだとなんとか説明してダンテを追い返したあの日。
それ以来バージルの心は後ろめたさに曇っていた。
そんなことを知らないダンテはあれから毎日午後の同じ時間に顔を出すようになっている。
主のダンテが帰ってくる時間はいつも同じだからその前に屋敷に戻れば大丈夫だと言いながら。
確かに陽が暮れる直前に来るダンテは気づいていないようだが、彼の言葉に背いているバージルはもう真っすぐにその瞳を見ることができなくなっていた。
本当ならもう会うことも許されなくなっているかもしれないのに、そんな考えに耐えられなくて存在を確かめるようにダンテに縋りつくと大きな手が頭や背中を撫でてくれる。
その温もりを心底失いたくないと願うバージルだったが、反面、自分と同じ年頃の子どもと一緒にいることにもほんの少しの興味を覚え始めていた。

「バージルって本ばっかり読んでるよな」
相変わらず窓際のベッドの上で本を開いているその姿に少し呆れながら周囲に積まれた本の山に呆れた溜息をつく。
「ダンテは読まないのか?」
「俺は本より乗馬とか剣の稽古の方が好きだな」
「剣? 剣が使えるのか?」
驚いたように本から目を上げたバージルにダンテが目を丸くする。
いつもこうしてベッドの上に並んでその日にあったことをダンテが一方的に喋っているのだが、そんな中でバージルがこんなふうに身を乗り出して興味を示してきたことは初めてだった。
「剣は好き?」
手応えのある反応にダンテも嬉しそうに乗ってくる。
「英雄の話は好きだ。彼らは必ず名剣を持っている」
「本の話じゃなくて、バージルも剣の稽古好き?」
「あ……」
「だったら今度一緒にやろうよ、俺も始めたばっかりなんだ」
「いや、剣は持ったことないし本物は見たこともない」
「ダンテは教えてくれないの?」
「ああ……」
ダンテが教えてくれたのは社交や食事に必要なマナーと勉強だけだった。
しかし既にそれらの全てを頭に入れてしまっているバージルはこのところダンテから何かを教わったということがない。
なのにまだ乗馬や剣など教えてもらえそうなことがあると分かると、どうしてそれを自分には教えてくれないのだろうとなんとなく胸の奥がもやもやとしてきた。
「今度頼んでみなよ」
バージルの思いに気づくことなくダンテは楽しそうに話す。
「ダンテは剣の名手なんだよ」
「え?」
「国内の大会じゃいっつも優勝してる」
「本当に?」
「うん、俺も一回見に行ったけどすっごいかっこいいの!」
「へえ……」
本の中の英雄とダンテが重なる光景が脳裏を過りバージルは思わず溜息をついた。
剣を手に戦うダンテ。
その姿を想像するだけでわくわくとする気持が湧きあがり、さっきまで感じていた得体の知れない不愉快さはかき消されてしまう。
「俺も見てみたいな」
「だろ? ほんっとすごいんだから!」
そう言ってダンテはにこにこと嬉しそうにバージルの顔を見つめてくる。
ダンテが笑っているのはいつものことだが、しかしその視線がいつまでも逸れないことにバージルは少し居たたまれない気持ちになってきて膝の上の本に目を落とした。
けれどそれでもダンテは視線を外そうとしない。
「……何?」
「ん?」
「何でそんなに俺の顔を見るんだ?」
「だってバージルの楽しそうな顔初めて見た」
「…………」
「それにさ、同じ顔なんてやっぱり面白いじゃん?」
「え?」
「ほら、鏡見てるみたい」
ダンテがバージルの両頬を抑えてぐいと顔を寄せてくる。
薄い青の瞳に自分のものらしき影が映っているがそれはあまりに小さすぎてはっきりと見ることはできない。
「な?」
にっと笑ったダンテの目が細められて影はほとんど見えなくなった。
「同じ……なのか?」
「同じだろ?」
ほら、とばかりにさらに顔を寄せてくる。
それでもあまり反応のないバージルにダンテは何かに気づいたようにふいに頬から手を離した。
「もしかして、自分の顔見たことない?」
自分の顔、という言葉にバージルは無意識にダンテが触れていた頬に手を添えた。
疑問が確信になったダンテはきょろきょろして周囲を見回すが、この部屋にはベッドと机と本があるだけで鏡はない。
しばらく考え込んだダンテはバージルの手を掴んでベッドから降りた。
「湖に行こう」
「え?」
「水になら顔が映るよ」
「駄目だ」
「どうして?」
「勝手に外には出られない。それに……」
バージルは窓から外を見つめる。
「もうすぐダンテが来る」
「あ……」
その言葉にダンテも思い出したように外を見て溜息をついた。
「つまんないな、もっと一緒にいたいのに」
そう呟いて掴んだままのバージルの手を見つめる。
それをそっと振りほどいたバージルはまたベッドに腰掛け手元に落ちていた本を取り上げた。
「じゃ、明日は鏡を持ってきてやるよ」
じゃあな、と手を振って部屋から出て行くダンテの背中をバージルは無言で見送る。
階段を駆け降りる軽い足音が消えるとすぐ馬の小さないななきと蹄の音が聞こえてきた。
その音を聞きながら本のページを開いたバージルだったが数行を読むこともなくそれを投げ捨て窓から身を乗り出す。
けれどその時には既にダンテの馬は塔から離れ小さな影だけになっていた。
やがてその姿も消え周囲はいつもの静かな景色に戻っていく。
それでもバージルは窓枠に手をかけたままダンテの消えていった方角をじっと見つめていた。

 

 

翌日、ダンテは本当に鏡を持ってやってきた。
取っ手付きの丸鏡を渡され、そこに映った自分を見たバージルは幾度も瞬きをしながら唖然とする。
「な? 同じだろ?」
背後に回り込んだダンテがバージルの両肩に手を添えながら覗き込むように頬をくっつけてきた。
そうやって鏡に一緒に映り込んだ顔は本当にそっくりだった。
違いと言えばダンテの方が髪が少し短いところと頬のラインが僅かにふっくらしている程度といったところか。
そして髪の色は自分でも分かっていたものの驚いたのは瞳の色だ。
バージルはずっとダンテの瞳の色が好きだった。
青く澄んだそれはいつまでも見つめていたくなるほど綺麗で、こんな綺麗な色は自然の中でもダンテの瞳の中にしかないと思っていた。
それがある日突然現れた子どもの瞳にも同じ色が宿っていることに気づき驚いた。
なのに、今鏡に映っている自分の瞳がずっと綺麗だと思い続けてきたそれと同じ色をしている。
そのことが嬉しくてバージルの口元が僅かに緩み目元には笑みが浮かんだ。
「面白いだろ?」
こちらも嬉しそうに笑ってダンテが背後からぎゅっと抱きついてくる。
耳元に感じる吐息を少しくすぐったく思いながら、自分の姿を初めて意識したバージルはじっと鏡の中の瞳を見つめていた。
「これでバージルの髪がもう少し短くなったら……」
と身体を離したダンテが今度はバージルの髪をいじり始めたときだった。
「……っ」
突然びくりとしたバージルが窓の外に視線を向けた。
一瞬、髪を触られたのが嫌だったのかと思ったダンテだったがそうではないらしい。
じっと外を見つめる視線の先に何かあるのかと一緒になって見ていると、やがて規則正しいリズムを刻んだ蹄の音が近づいてきた。
「あ……」
状況を理解したダンテがバージルを見る。
さっきまでの笑みは既になく、きゅっと噛みしめられた唇が色を失って震えていた。
咄嗟に隠れる場所はないかとダンテは室内を見回してみるもののベッドと机と本しかないここでは隠れようもない。
それ以前に仔馬が下に繋がれたままになっているのだから今さら隠れても意味はなかった。
「ごめん」
そう言って俯くとバージルの手がぎゅっとシーツを握り締めているのが目に入った。
ダンテはベッドから降りてバージルの隣に腰を下ろし、その手にそっと自分の手を重ねる。
もうどうすることもできないが、それでもこうやって手を繋いでいれば少しはいいかもしれないと思ったのだ。
やがて蹄の音が真下で止まり馬の軽いいななきが聞こえてくる。
きっとそこにいる仔馬を見てダンテは酷く驚いているに違いない。
それからゆっくりと階段を上ってくる靴の音。
シーツを掴んでいたバージルの手はいつの間にかダンテの手を強く握って震えていた。

 

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2009/05/25


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