10年後
 

シティから戻ったダンテは着替えもそこそこに広大な敷地内の外れにある物見の塔に馬を走らせた。
背後には森、前面に湖を見下ろすそれは戦争時代には名前の通り攻めてくる敵を監視する役目を担っていた建物だ。
もちろん今は全く不要のものとなり屋敷内の使用人たちもその存在は知っているが近づく者は誰もいない。
いるとすれば湖の傍に立つボートハウスの管理を担当する者だけだったが、そもそも屋敷にボートを使いたがる主人がいないためせいぜい月に一度ハウスを覗く程度で終わってしまう。
もちろんその管理人にとっても塔は古くからある敷地内の景色の一つで、そのへんに生えている木々や雑草と同じ程度のものでしかなかった。

陽が傾き始めた中、塔の背後に馬を繋いだダンテが中に入っていく。
長く狭い螺旋状の階段を登ってたどりついた先にはかつての見張り番たちが寝起きしていた小部屋があった。
部屋といっても扉はなく、窓も小さなものが部屋の四方にそれぞれ一つずつついているだけだ。
当時と違うことといえばあちこちに積まれている大量の本とその隙間にある一対の机と椅子だけかもしれない。
既に薄暗くなっている室内に足を踏み入れれば、窓の傍に置かれたベッドの上で本を膝に置いた子どもがじっとこちらを見つめていた。
ここにやってくる足音が聞こえていたのだろう。
「もう本を読むには暗すぎるんじゃないか」
そう言って近づいてベッドの端に腰を下ろす。
「うん、でもあと少し読みたいから」
「そうか」
本を開いて目を落とす子どもの頭を軽く撫でるついでに腰を上げ、ダンテは机の上に置かれている幾冊かのノートを手に取った。
開いてみれば中は丁寧な文字で綴られた外国語の書き取りや計算問題でびっしりと埋まっている。
この年齢にしてはまったく早熟な知識を身につけてしまったものだと思いながら、ダンテは暗い中で懸命に文字を読み取っている子どもに溜息をついた。

かつて自分の腕に託された命。
本来ならその存在さえ消しかねられないはずだった赤ん坊の10年後の姿が今目の前にいる子どもだった。
あの夜。
偶然にも近戚であるスパーダの屋敷に滞在していたダンテは双子を目の当たりにして愕然としたものの、それでもスパーダの決断に快く賛同した。
双子の兄を諦めることなど到底できなかった父親は周囲の者たちに赤ん坊は男の子だったことだけ告げ、もう一人をダンテに預けたのだ。
当時25歳だったダンテは既に家督を継ぎ両親は他界、派手な生活を好まない彼はスパーダの屋敷以上に広い住居を構えながらも最低限の使用人だけを置いて暮らしていた。
寡黙であまり感情を外に出さない性質ではあったがその実直な性格はスパーダも認め信頼を置いている。
その夜のうちに双子の兄を連れ自分の屋敷に戻ったダンテは、当時まだ屋敷の敷地内に住んでいたかつての乳母に「事情がある友人の子ども」として面倒を見ることを頼んだのだった。
けれどもちろんその存在は秘密にされ、知っているのはダンテと乳母の二人だけ。
離れの小さな部屋をあてがわれた赤ん坊は5年間をそこで誰にも知られることなく育てられていったのだ。

一方、スパーダの長男として両親や周囲から大事にされていた弟も生まれたときの小さな身体つきからは想像もできないほど丈夫に育ち、早くも陽気でやんちゃな性格を表し始めていた。
しかしそんな可愛い盛りの5歳の夏、列車事故によって両親であるスパーダとエヴァが他界する。
その後、残された子どもの後見人となったのが兄を引き取っていたダンテだった。
血縁関係としても近く信頼性にも足るということで特に親族からの反対もないまま、ダンテはその方が都合が良いからとそれ以来スパーダの屋敷に居を移しての生活を始めることになったのだ。
そうして5年ぶりに同じ屋敷で暮らすことになった双子の兄バージルと弟のダンテではあったが、もちろん兄の存在は知られることなく母屋から遠く離れた塔にその居場所を限定されていた。

スパーダの死後、遺言書とともに弁護士から渡されたダンテ宛の手紙からはバージルの行く末を彼が酷く案じていた様子が窺える。
例え身を隠していなければならなかったとしてもバージルにはできうる限りの教育をしてやってほしい。
あってはならないことだが、万が一ダンテの身に不幸が起きたら家督はバージルに継がせること。
無事にダンテが家督を継いだら、バージルには本人の意思を尊重した上でその後の身の振り方を考えてやってほしい。
その「身の振り方」の方向性としてか、手紙には幾つかの仕事先のあてまで記されていた。
おそらくはスパーダの友人関係であろうが、驚いたことに既にこの時点で採用確約の誓約書まで同封されている。
世間では貴族のくせに頭が切れすぎるやり手だなどと言われていた彼も、子どものことになると笑えるほどに親バカだったのだと改めて知るところとなった。

 

几帳面なノートに視線を落としていると背後でぱたりと本を閉じる音が聞こえた。
振り返ればとうとう読書を諦めたバージルがぼんやりと窓の外を見つめている。
小さな蝋燭の灯りさえ使えないバージルにはこれから長い夜が訪れようとしていた。
年齢に見合わず賢いこの子に、もう全てを話してしまってもいいのではないかと時折ダンテは思う。
生まれたときから人と接しない生活しかしてこなかった彼には当然だがそれ以外の生活など見当もついていない。
今の現状を当り前のように受け入れている。
けれど一つだけ約束させていることがあった。
他の誰にも顔を見せてはいけない、と。
だから誰かが塔の近くに来ても絶対に顔を出してはいけない、話しかけてもいけない。
どうして? と聞かれたダンテは、そうしないと一緒にいられなくなるからと答えていた。
バージルにとって毎日食事を持って様子を見にきてくれるダンテはもはや自分の命を握っている人物なのだと分かっている。
それだけでなく仕事が休みの日にはつきっきりでマナーや勉強を教えてくれている。
自分の知らないことを何でも教えてくれるダンテはバージルにとっても既になくてはならない存在となっていた。
そんなダンテと一緒にいられなくなるというのはまさに死活問題だ。
けれどダンテの言った言葉にはもう一つの意味もある。
できれば兄弟一緒にいさせてやりたいと、それは双子の両親の願いでもありダンテの望みでもあった。

しばらく窓の外を眺めていたバージルがベッドを下りてダンテの元にやってきた。
そうしてジャケットの裾を掴んで無言で見上げてくる。
その真剣な表情にふっと笑みを浮かべたダンテは膝をついてそっとバージルを抱き寄せた。
すぐに小さく柔らかい腕がぎゅっと首に回される。
暖かい吐息が首筋にかかるのをくすぐったく感じながらダンテはゆっくりと彼の父親譲りの銀色の髪を梳いてやった。
バージルが時々こんなふうに甘えてくるようになったのはダンテの屋敷で多くの時間を一緒に過ごしていた乳母が体調を崩して仕事を辞さなければならなくなってからだった。
最初の頃こそ小さな子どもなどどうやってあやしていいかも分からなかったダンテだったが、いつしかただこうやって抱きしめてやっていればいいのだと理解した。
バージルの気が済めば彼は自分から腕を解いて離れていく。
そんなとき、普段はまったく無表情なバージルの目がほんの少しだけ微笑むことに最近になってダンテは気がついた。
その僅かな笑みが思った以上に嬉しくて、満足して自分の元から離れていってしまうバージルにふと寂しさを覚えてしまうこともしばしばだ。
早くに家族を失くしてしまったダンテにとってもバージルは今やなくてはならない存在となっていた。

 

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2009/05/25


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