■■ 僕が愛した君のすべて ■■
...3
 

乾が目を覚ますと部屋の中は薄暗かったものの、カーテンの隙間から洩れてくる光はかなり強いものだった。
見慣れない部屋の様子に一瞬戸惑ったが、すぐに大和の屋敷に泊めてもらっていたことを思い出す。

横になったまま大きく伸びをして棚の上の時計に目をやってみると既に10時を回っている時間だった。

「うわっ」

全くの見ず知らずの人の家に世話になっているというのに、こんな時間までのうのうと寝ていたことに驚いた乾は慌ててベッドに上体を起こす。
そのまま足を床に下ろした途端、右の足首に鈍い痛みが走った。
「っ……!」
怪我をしていたことを思い出し、足首に負担をかけないようにそっと立ち上がると、とりあえずカーテンを開けようと窓際に歩み寄った。

厚手のカーテンを開けた途端、外の眩しすぎる光が一気に室内に流れ込んできて乾の視界を一瞬奪う。
思わず背けた顔のままゆっくりと目を開けていくと、カーテンの向こう側には大きな観音開きの扉があり、その先は白い色をしたテラスになっていた。
引き寄せられるように扉に手をかけようとしたが、自分の格好を思い出してその手を止める。
やはり上半身裸のままで外には出られなかった。

まずはバスルームへ行き身支度を整えようと、タオルを取るためクローゼットを開けてみた。
するとそこには昨夜なかったはずのシャツやサマーセーター、スラックスにジーンズなど一通りのものが揃えられている。
今朝のうちに大和か不二が持ってきてくれたのだろう。
いずれにしても、着替えなどは全て町の宿に置いてあるのだから今は彼らの好意に甘えるしかなかった。

着替えを済ませてテラスに出ようと扉を開けてみると生暖かい風が吹いてきて、今日もかなりの気温になりそうなことを教えてくれる。
目の前には1階のテラスにあったものと同じような白いテーブルと椅子が置かれていた。
それを避けて手摺りまで行くと、そこから臨めるのは昨日乾が森から抜け出てきたときに通った芝生の庭だった。
手摺りから身を乗り出して下を見てみると、ここは大和に怪我の手当てをしてもらったテラスの真上に当たるらしい。

突然、犬の吠える声が聞こえてきて乾は芝生へと視線を移した。

鮮やかな緑の中を黒いシェパードが全力で横切っていく。

―― あいつ、元気だな。

自分を森から救い出してくれたホームズの姿に思わず笑顔がこぼれる。

全力で走っていたホームズは、ある一点までくると突然ブレーキをかけたように止まり、またもときたコースを同じようなスピードで引き返していった。
彼の姿を追っていくと、その先には芝生に片膝をついている人物がいる。

眼鏡をかけてもそれほど視力が良いわけではない乾だったが、その人物が大和でも不二でもないことはすぐに分かった。

―― 彼が『クニミツ』?

ホームズは真っ直ぐに彼の元に駆けていき、差し出されたその手に口にくわえていたものを渡しているらしい。
クニミツは大袈裟なほどにホームズの頭を撫でると、今手にしたものを再び放り投げた。
間髪を置かずにまたホームズが駆け出していく。
どうやらボール投げをして遊んでいるらしかった。
クニミツの表情をもっと見たいと思ったが、さすがに離れすぎていてそこまでは見ることができない。
それでもすらっとした身体つきと無邪気に犬と戯れる姿は、乾に好青年という印象を与えていた。

しばらくは手摺りに凭れて絵に描いたような平穏な風景を眺めていた乾だが、下から自分を呼ぶ声が聞こえてきてテラスから少し身を乗り出してみた。
1階のテラスから出てきたらしい不二がこちらに向かって小さく手を振っている。
「おはよう」
既に気温が上がっている夏の日差しの中で不二の腕は眩しいほどに白い。
「おはようございます」
「よく眠れた?」
「はい」
「歩けるようだったらこっちにおいでよ。お腹すいてない? 何か用意するから」
「はい、すぐ行きます」
そう答えて部屋に戻ろうとしたとき、乾はクニミツが自分の方を見ているのに気がついた。
今の不二と突然の訪問者の会話が耳に入ったのだろう。
彼は自分がここにいる経緯を聞いているのだろうかと思いながらも、目線が合っているようなのでとりあえず軽く会釈をしてみた。
それに応えてクニミツも首だけを小さく頷くように動かす。

そうやって視線を乾に向けたままのクニミツのもとにホームズが勢いよく飛び込んできて、彼は身体のバランスを取りそこねてホームズを抱えるようにしてそのまま仰向けに転倒してしまった。
それでもホームズは嬉しそうに彼の顔に鼻を擦りつけて尻尾を振っている。

そんな微笑ましい光景を後にして、乾はテラスから部屋に一歩を踏み込んだ。
その途端、彼を僅かな甘い香りが包み込む。
一度外の新鮮な空気を吸ってから部屋に戻ったことで気付いたのだろう。
その香りが忘れていた昨夜のことを一気に思い出させた。

頭がぼーっとするような甘い芳香と、思考を停止させられてしまうような心地よい感触。
耳元で聞こえた囁くような不二の声。

その声と、さっき陽光の下にいた眩しい不二の姿があまりに似つかわしくなくて、乾はあのゾクリとした感覚は寝ぼけていた自分が作り出した幻のようなものだったのかもしれないと疑いそうになる。

―― 昨日のお礼、言わないと……。

そして一度閉めた扉を左右に大きく開いた。
今の乾にとっては、昨夜の残り香は少し甘すぎるものだった。

 

『すぐに行く』とは言ったものの、やはり痛む足をかばいながら歩くのはなかなか疲れるものだった。
今まで足を怪我したことのなかった乾は、階段は登るときより降りるときの方が辛いものなのだということを身をもって知った。

長い階段を降りて一息つくと、急に邸内の静寂に耳を囚われたような気がした。
あまりに静かすぎて耳鳴りがしそうなほどである。
自分の足音と衣擦れの音しか聞こえてこない静かな空間。
静寂という言葉がぴったりだった。
何故こんな場所の、しかもこんな広い屋敷に3人で住んでいるのだろうと改めて不思議に思う。
あまり深く詮索するのも失礼だとは思うものの、ここの住人たちについて知りたいという気持ちはどんどん強くなっていった。

とりあえず昨日案内されたルートを逆に辿ってみると、すぐに夏の陽射し溢れるテラスに出ることができた。
不二の姿が見当たらないのは、乾の食事の用意をしているためだろう。
申し訳ないと思いながら、乾は昨日座った椅子に腰を下ろして彼を待つことにした。

乾の部屋のテラスが屋根のような役目をしているおかげで、1階のテラスの大部分は日陰になっている。
それに森の中ということもあってか、日陰にいる分には町中よりもかなり暑さを凌ぎやすいような気がした。
湿度もそれほど高くないのだろう。

クニミツとホームズは相変わらずボールを投げて遊んでいる。

背もたれに身体を預けてその様子を見ていると、ぼーっとするような眠気に襲われる。
かなりの時間を眠ったはずなのに……と思いながら乾は眼鏡を外して目頭を軽く揉んだ。

「疲れが取れませんか?」

人が来る気配も感じなかったのにいきなり声が聞こえてきて、驚いた乾はハっとして顔を上げた。
にこやかな笑みを浮かべた大和が目の前の椅子に座ろうとしているところだった。
「無理しないで、今日は一日ゆっくり寝ていたら?」
続けて不二が近づいてきて手にしていたトレーをテーブルに置いた。
サンドイッチとフルーツ、そしてコーヒーにオレンジジュース。
なんでもないメニューなのに、こうして屋外のテラスで見ると一段と美味しそうに感じるのが不思議だった。

「おはようございます。すいません、こんなのんびり起きてきて」 「いえいえ、僕たちもけっこう遅いんですよ。みんなバラバラの時間に起きるから、朝食と昼食は都合のいいときに食べられるように不二君が食べやすいものを用意しておいてくれるんです」
そう言いながら大和はコーヒーカップを手にした。
「食事は不二さんが一人で作ってるんですか?」
乾の問いに不二が軽く笑った。
「不二さん、っていうのはちょっとね。『さん』はつけなくてもいいよ」
「え、それは……」
「なんかさ、山みたいじゃない?」
「山……ですか? 富士山?」
「そう」
「はあ……」
乾のきょとんとした顔が可笑しいのか、不二はにっこりと笑って立ったままでオレンジジュースを一口飲んだ。
白い喉仏が動くのを見ると自然に昨夜のことが脳裏に蘇るようだった。
「不二か、でなければ名前にして」
「周助……さん?」
「そうだね、そっちの方がいいや。呼び捨てでも一向にかまわないよ?」
「……はい……」
乾は結局どう呼んでいいのか分からず、大和に助け舟を求めるように彼の方をチラっと見てみる。
しかし大和は二人の妙なやりとりが楽しいらしく、黙ってにこにこしながらサンドイッチを口に運んでいた。

「あ、昨日はありがとうございました」
突然、乾は不二を見上げて昨夜の礼を言った。
不二のペースに乗せられて、思い出しかけたマッサージのことをまた忘れそうになっていたのに気付いたのだ。
「ん? 湿布のこと?」
「はい、あと足のマッサージまでしていただいて」
「ああ、いいんだってば。本当に趣味なんだから」
「でも俺、途中で眠っちゃいましたよね。すいません」

乾が小さく頭を下げると、それまで黙っていた大和が口を開いた。
「不二くんのマッサージは最高ですからね。僕もすぐにウトウトしちゃいますよ」
あはは……と笑う大和を不二が軽く睨みつける。
「あなたはもう少し感謝してもいいと思いますよ?」

不二に睨まれるのは慣れているらしく、大和は彼の言葉に苦笑いをして、
「ああ、そうだ」
と話題を逸らせようとするかのように少し大袈裟な口調で乾に向き直った。
「あなたが宿泊していた宿には夕べ電話を入れておきましたよ」
「え?」
「どうせしばらくはここにいるんですから、宿はキャンセルしてしまった方がいいでしょう? 荷物の保管だけは頼んでおきましたけど」

この辺は携帯が使えない範囲らしく、後で電話を借りて宿に連絡を入れようと思っていた乾は大和の手回しのよさに驚いた。
「よく泊まっていた宿がわかりましたね」
半ば感心しながら乾が言った。
「もともとここは観光地ではありませんからね、宿泊施設なんて少ないんですよ。そんな中であなたのような学生さんが泊まる所というと一箇所しかありませんから」
なんでもなことですよ、と小さく付け加えて、それでも自分の考えが当たっていたことを楽しんでいるように大和の口元が少し綻んでいた。

その薄い笑みを浮かべたまま、大和は視線を庭の隅の方に移した。
乾もつられて同じ方を見てみる。
視線の先にいるのはホームズと一緒のクニミツだ。
ボール投げに飽きたらしく彼は芝生の上に仰向けに寝転がっていて、ホームズはもっと遊びたいと強請るようにその顔に鼻を擦り寄せている。
「国光はもう食べたんですか?」
視線をそのままに大和は不二に訊ねた。
「ええ、さっき」
「そうですか。……国光!」
大和の呼ぶ声にクニミツとホームズが同時に振り向いた。

大和に呼ばれたことで遊びは終わりと判断したのか、ホームズが先にテラスの方に走り寄ってきた。
それに続いてクニミツもゆっくりと立ち上がり、こちらに向かってくる。
先にテラスについたホームズは息を弾ませながら大和の膝に擦り寄り、その手からサンドイッチのおこぼれを貰おうとしていた。

「乾君、彼は手塚国光。これでここの住人は全部ですね」
「手塚? あ、すいません。彼は大和さんのご家族の方だとばかり思っていたので……」
そこへのんびりと歩いてきた手塚がテラスの階段を登りテーブルの上のオレンジジュースに手を伸ばした。
思わず見上げた乾とグラスを手に取ろうとしていた手塚の視線がぶつかる。

乾は自分を見下ろすその端整な顔立ちに心の中で溜息をついた。
細面の輪郭に筋の通った鼻の上には縁のないやや細目の眼鏡がかけられている。
その奥にある黒い瞳は、乾のことを観察でもしているかのように僅かに細められていた。
その表情は、これがさっきからホームズと無邪気そうに戯れていた彼なのだろうかと思わせるほどに無表情で、感情というものを全く含んでいないように見える。
高校生くらいだろうか、大人びた顔をしてはいるものの、その雰囲気はまだ多少の幼さを残しているような気がした。

「彼は僕の親戚なんですよ」
「親戚……?」
「ええ、訳あって僕があずかっているんです」
手塚から大和に視線を移し、乾は再び手塚を見る。
ジュースのグラスに口をつけている手塚を見上げながら、ふいにあの眼鏡がなければもっと穏やかな雰囲気になるかもしれないのになどという考えが頭をよぎった。

「手塚国光です」
グラスから口を離すと手塚は軽く頭を下げて挨拶をしてきた。
「あ、乾貞治といいます。昨日からお世話になってしまって」
乾のことを聞いていたのかいないのかは相変わらず分からないが、自分にはあまり関係ないとでもいうように手塚は目を伏せて再びグラスに口をつけた。

「国光、そろそろ時間でしょう?」
大和の言葉に手塚はグラスに口をつけたままチラっと彼の方を見て一気にジュースを飲み干すと、乾に軽く頭を下げて家の中に入っていってしまった。
さっきまで一緒に遊んでいたホームズが手塚の背中に向かってクンと鼻を鳴らすような声で鳴いて大和の足元にうずくまる。
「じゃあ、僕も」
テーブルのサンドイッチを一つ手に取って、手塚に続くように不二がテラスの扉に向かう。
しかし数歩のところで何かを思い出したように「あ」と小さく呟くと、扉に手をかけながら後ろを振り向き、
「マッサージ、気に入ってもらえたのなら今夜もしてあげるよ」
と乾に微笑みかけた。
その穏やかな笑顔と、昨夜感じた身体が落ちていくような不思議な心地よさが乾の中でない交ぜになって、彼は咄嗟に返事をすることができなくなっていた。
そんな乾の状態に気付たのか、不二は小さく笑って「じゃあね」と言い残して扉の向こうに行ってしまった。

 

朝食とも昼食ともつかない軽い食事を済ませてから、乾は自分が借りている部屋の隣にあるという書斎に行ってみることにした。
今の足の様子では歩き回らない方がいいのは明白だったし乾ももちろん大人しくしているつもりだったが、荷物のほとんどを宿に置いてきてしまった彼には時間を潰すためのものが何もなかった。
唯一手元にあるのはリュックに入っているポケット版の水草図鑑だけである。
調査の結果をまとめようにも、本格的に調べる前に迷子になってしまったのだからまとめるほどの資料も揃っていなかった。

そんな乾の状態を察したのか、大和が書斎に行ってみることを勧めてくれた。
備えつけてあるパソコンも自由に使っていいと言われ、もともと読書好きの乾は有難く大和の提案に従った。

教えてもらった書斎の扉を開けて中に入ると図書室のような独特の本の臭いが鼻をついてきた。
それは普段から乾がよく歩いている古本屋街の様子を思い出させる。
彼はこの臭いが大好きだった。なぜだか分からないが、まるで古巣に戻ったような優しく落ち着いた気持ちにさせてくれる。
僅かに頬を緩めて大きく深呼吸をしてから乾は書斎の扉を静かに閉めた。

部屋の大きさは乾のいる部屋とたいして変わらなかったが、ここにはテラスはないらしく小さめの窓があるだけだった。
部屋の両側にはかなりの高さの本棚があり、それはほとんど隙間なく本で埋められていた。
窓際に木製の机があり、そこに乗っているパソコンだけが妙に現代的な光を放っていて落ち着いた雰囲気の中でポツリと浮いているような気がする。

パソコンを触りたいのもやまやまだが、今は何か本を選んで自室に戻ろうと思っていた。
やはり椅子に座っているよりはベッドに足を投げ出している方が今の乾には楽な体勢だったのだ。

とりあえず本棚の端からざっと背表紙の文字を目で追っていってみると、小説やノンフィクション・写真集など特に本のジャンルに傾向があるわけでもなく、名作と言われる古いものから最近出版された新しいものまで雑多に取り揃えられていた。
そんな中で乾の目を引いたのはドイルやクリスティーなどの有名なミステリーを数多く揃えた棚だった。
翻訳されたものばかりではなく原書まで収められている。

―― それでホームズか……。

自分の好きな小説の登場人物をペットの名前につけるという、少し子どもっぽいことをあの大和がしたのかと思うと乾の顔に思わず笑みがこぼれた。
彼がペットの名前にするほど好きなドイルの著作を一冊手にしてみる。
高校の頃に一通りは読んだはずだったが、その内容についてはほとんど忘れていた。
このところゼミ関連の専門書ばかりを読んでいた乾だったから、たまにはこういうのもいいだろうとそれを手にしたままあとの本棚をぼんやりと見てまわる。

「あ……」
乾が小さく呟いたのは、彼の専門としている植物に関する本が並んでいる棚を見つけたためだった。
真っ先に目が行ったのは一般向けの植物図鑑だったが、その隣には薔薇や蘭などの栽培に関する本もある。
これも大和の好みなのだろうかと首を捻りつつ、乾は普段の習慣から植物図鑑を抜き取って脇に抱えた。
あとの棚にも乾の興味を惹く本はあったものの、そんなに持ち出したところで一気に読めるわけでもないと、とりあえず手にしているだけの本を持って書斎を出ることにした。

 

部屋に戻ってベッドのサイドテーブルに本を置き、枕をクッション代わりに背中にあてて身体をあずける。
窓を開けていったせいであの甘い香りは既になくなっていた。
昨日は足全体にあったじんじんと疼くような感覚も、不二のマッサージが効いたらしく全く感じられなくなっている。
時間的にも気温が上昇して部屋の中もそれなりに暑くなっていたのでエアコンを入れようかとも思ったが、窓から僅かに入ってくる風を感じるのが心地よくて、乾はそのままサイドテーブルの本に手を伸ばした。

最初に植物図鑑を取ってぱらぱらと捲ってみる。
すると、あるページが不自然なほど簡単に開いた。

―― あれ?

そのページには一枚の写真が挟まれていた。
中学か高校生くらいの男子が3人で寄り固まっている姿が映し出されている。
制服姿なのか、3人とも同じような白いシャツを着ていた。
真ん中にいる丸い眼鏡をかけたのは大和、その右隣にいるのは不二だろう。
彼らの学生時代の写真。
この年齢特有の僅かに残るあどけない表情が生き生きとしていて、それだけで彼らが楽しい青春時代を送っているであろうことが想像できる。
しかし乾が目をみはったのは一番左にいる人物だった。
そこにいる少年はさっき挨拶を交わしたばかりの手塚国光にそっくりな容貌をしていた。
乾は自分でも気付かないうちに眉をひそめて、充分に写真を見ることができる距離であるにもかかわらず、もっとよく見たいとでもいうように眼鏡越しの目を細める。

おそらく年齢も手塚とほぼ同じくらいだろう。
髪は今よりも若干短めにカットされているが、すっとした頬のラインも通った鼻筋もそしてかけている眼鏡までもがほとんど同じだ。
ただ違うと感じるのはその瞳だった。
レンズの向こうのそれは、まるで何かを睨みつけてでもいるかのような鋭いもので冷たい印象を放っている。
そうしてあとの二人が穏やかな笑みを浮かべる中、彼は一人で無表情を保っていた。

写真の右下にある日付は、2003年8月10日。
19年前のものだった。

弱い風が窓にかかっているレースの白いカーテンを揺らしているのが、見るともなしに乾の目の端に入ってくる。
さっきまでは全くの静寂の中にあったこの屋敷の空間も、いつの間にか鳴き始めた蝉の声に包まれていた。

手塚の血縁の者には違いないのだろうが、あまりにも似ているその写真の人物から乾は目を離すことができない。
そしてじっとりと浮かんできた汗を不快に思いながら、やはりエアコンをつけるべきだったなと少し後悔しながらベッドに身体を預け足を投げ出していた。

 

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(2003/10/9)
 


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