■■ 僕が愛した君のすべて ■■
...2
 

乾が通されたのは暖炉のある居間のような部屋だった。
瀟洒な外観と同じように、屋敷の中もまるで昔のレトロな雰囲気を漂わせるような落ち着いたものに統一されている。
歩を進める度に大和のコツコツという靴音と、乾のサンダルをひきずるような音が静かな邸内に響いていった。

「どうぞ」
と男に促されて乾が大きめのゆったりとした肘掛け椅子に座ると、間を置かずして一人の青年がトレーを持って部屋に入ってきた。
最初に目についたのは柔らかそうな明るい茶色の髪だったが、すぐに乾の視線は彼の瞳に捕らえられた。
トレーをテーブルに置くときに乾に向かって静かに微笑んだその瞳は、髪よりも更に明るく、そして澄んだ茶色をしていた。
真っ白なコットンのシャツに黒っぽいスラックス。
飾り気のない服装が、余計に彼自身を引き立てているように思える。

自分と同い年くらいだろうかと、乾はその青年の姿を見ていた。

トレーに乗せられていたのはお茶のセットだった。
青年がそれをテーブルの上に置いて用意を始めようとしたところを、向かいの椅子に座った男が「あとは僕がやりますから、もういいですよ」と彼を下がらせた。

小さく会釈をして彼が出ていくと、男は小さな苺の模様が入っている陶器のポットから紅茶をカップに注いだ。
立ち上る湯気と紅茶の香りが部屋の雰囲気にぴったりと合っていて、乾は自分が少し昔の時代に入り込んでしまったような不思議な気分を味わった。

「あの……」
続けて相手の名前を呼ぼうとして肝心の名前を聞いていなかったこと、そして自分の名前もまだ名乗っていなかったことに乾は気付いた。

「あの、私は乾貞治といいます。本当にお世話をおかけいたします」
椅子の上で改まって、乾は自分の名前を名乗った。
それを聞いて男はにこりと眼鏡の奥の目を細めると、
「僕は大和祐大といいます。あんまり畏まらなくてもいいんですよ」
と言ってカップを口に運び、こくりと紅茶を一口飲んだ。

その様子を乾はなんとなしに見つめていた。
年齢は30代前半といったところだろうか。
シャープな顎のラインだけを見ると神経質そうな感じを受けるが、黒くて細いフレームの丸眼鏡がその印象を和らげていた。
更に眼鏡の向こうの黒目がちな瞳と、僅かに口角の上がった口元は柔らかい印象さえ与えている。
着ている服もどこにでもありそうな平凡なものだったが、そのカップを持つ指先や足を組んで少し斜めに座っている様子はどことなく上品な雰囲気を漂わせていた。
それが大和本人のものなのか、それとも乾が単にこの部屋の雰囲気に呑まれているせいなのかは分からないが。
しかし男の感じさせる穏やかそうな雰囲気はこの屋敷によく馴染んでいた。

「どうかしましたか?」
大和が少し困ったような笑みを浮かべた。
「え?」
「あまりじっと見られると、ね」
「あ……」
そう言われて自分があまりに大和に視線を注いでいたことに気付いて、乾は急に恥ずかしくなり「すいません」と言って俯いてしまった。

「乾君は学生さんですか?」
俯いてしまった乾に顔を上げるきっかけを与えるように、大和は無難な話題を振ってきた。
「はい、大学3年です」
「じゃあ、今は夏休み?」
「はい」
「どうしてこんなところで迷ってたんです?」
声は少し潜められていたが、大和の表情はどこか面白がっているような興味に満ちているものだった。

「水草の分布を調べていたんです」
「は? ……水草、ですか?」
大和が僅かに首を傾げた。
そのきょとんとした表情が少し可笑しくて、乾の頬が少し緩んだ。

「卒論の資料の一つなんです。関東近県の水草の分布を自分の足で調べようと思って。この近くに川が流れているでしょう? それを上流に向かって辿ってきたんですけど、途中で川が無くなってしまってて……」
川がなくなった、というのは正しい表現ではなかった。
辿っていた川の流れが途中で大きな岩組みの下を通っており、そのまま辿ることができなくなっていたのだ。
とりあえずそこを迂回してみれば、また川を見つけることができるだろうと思っていたのだが、結果として乾は道を失い森の中を彷徨うハメに陥ってしまった。

「ああ、あれは途中でかなりの距離を地下に潜っているんですよ」
納得がいったとでもいうように、大和は小さく頷きながら笑みを浮かべた。
「さっきも言いましたけど、もしよかったら足が治るまでここにいてはどうです?」
「え、と……、でも……」
その申し出に乾は戸惑いの表情を見せた。
しかし大和は全く気にする様子もなく言葉を続ける。
「途中で迷ったということは調査はまだ終わっていないのでしょう? どっちみち、その足では森を歩き回るのは無理でしょうしね」
「でも、今こうしてお邪魔してるだけでも申し訳ないのに……」
突然、大和がクスリと小さく笑った。

「正直に言いましょうか? このところ少し退屈していたんですよ。この家にお客が来るのは滅多にないことですからね」
「はあ……」
「遠慮することはありませんよ。部屋はたくさん余っていますし、余計な詮索をされたくなければ僕は君に構うことはしませんから。歩けるようになったら森の中を案内してあげてもいいですし」
そこまで言われては乾に断る理由は何一つない。
寧ろ、この申し出にはすぐにでも飛びつきたいほどであった。
実際に町中の宿まで戻ってまた森に来ることを毎日繰り返していては作業がはかどるはずもない。
それに乾はこの瀟洒な屋敷と、ここの主らしい大和に僅かながら興味を抱いていた。

「本当に、いいんですか?」
乾は念を押すように、ちらっと大和に視線を向けておずおずと訊ねた。
「ええ、もちろんですよ」
予想通りの答えに乾はホっと小さく息を吐いて「ありがとうございます」と礼を言った。

それからしばらくの間、二人が乾の大学のことなどを話していると先ほどの青年が再び部屋に姿を現した。
彼は何も言わなかったが、大和はその姿を見ると
「食事の用意ができたようですね」と言って席を立った。

「立てますか? それともここに食事を運ばせましょうか?」
「大丈夫です。包帯のおかげで、さっきより随分と歩きやすいですから」
乾は大和にあまり気を遣わせないように立ち上がって数歩、歩いてみせた。
その様子を見て大和も大丈夫そうだと思ったのか、先ほどのように乾の腕をとることはなく、しかしゆっくりとした歩調で食堂へと彼を案内していった。

 

白いクロスを掛けられたテーブルには4人分の食事が用意されている。
大和の分と自分の分、そしてあと2人分……。
ここで一緒に食事をするということは、きっと大和の家族なのだろう。
最初の印象だけで乾はこの屋敷に住んでいるのは大和一人だろうと思い込んでいたのだが。
彼からは家族がいるような雰囲気が全く感じられなかったのだ。

二人が席につくと、青年が今度はグラスに水を注ぎ始めた。
どうやら接客や食事の世話に関しては彼が一人で担当しているらしい。

「国光は?」
水を注ぐ青年を見上げながら、大和は家族の者らしい名前を口にした。
「気分があまり良くないから、食事はいらないそうです」
「そうですか……」
大和は溜め息まじりに呟いたが、気を取り直すように乾に向かって明るい声を出した。
「食べましょう。乾君も疲れているから早く休みたいでしょう」
その言葉が合図だったかのように、大和の側に立っていた青年がテーブルを回り込んで乾の隣の席についた。

その行動に乾は少なからず驚いた。
彼は使用人のような立場だと思っていたから、こうして大和と一緒に食事をとることは予想外のことだった。

「紹介しましょう」
乾の表情を見た大和が少し可笑しそうな声音を含んで言った。
「不二周助君。僕の手伝いをしてもらっているんですよ」

そう言われて乾は改めて隣に座った不二という青年に視線を移す。
彼も乾の方を向き、茶色い瞳を僅かに細めて「よろしく」と控えめな、しかし涼やかな声音で挨拶してきた。
「乾といいます。本当に、突然お邪魔して申し訳ありません。こちらこそよろしくお願いします」
「乾君?」
大和の静かな声が割って入る。
「丁寧なのも時には必要ですけどね、ここでは普段通りに喋ってくれていいんですよ。そんな風にされると、却ってこっちも疲れちゃいますから」
「はい……」
乾が唇を半分開いたまま、どうしようかといった感じで大和を見ていると、突然不二がクク……と小さく笑い出した。

乾が驚いて隣を見ると、不二は口元に手を持っていき笑いを堪えるような仕草をしている。
「あ、ごめん。僕もね、あんまり他人行儀なのって得意じゃないんだ。彼は先輩だから自然と丁寧な言葉遣いになっちゃうんだけど」
「はあ……」

しかし、そんなことを言われてもいきなり友達のような口調で話すわけにもいかないだろうと、乾は戸惑いながらもできるだけ他人行儀な言葉にならないように食事の間の会話に気を遣うことになった。

 

「とりあえず乾君を部屋に案内しましょうか」
食事が済んで不二が食器を下げているのを見ながら大和が言った。
「そうとう疲れているでしょう。目が半分眠っていますよ?」
実際のところ、食事の途中から異様なほど疲れが出てきた乾には大和のからかい気味の言葉に何も言い返すことができなかった。
「すいません。もう休ませてもらってもいいですか?」
「もちろんですよ」
そう言って席を立つと、大和は乾が立ち上がるのを待ってドアの方に向かった。
そしてノブに手をかけながら振り返り、
「不二君、何か軽い食事でも作ってもらえますか? あとで国光の様子を見にいってみますから」
「はい」
「すいませんね。じゃあ、乾君、行きましょうか」

乾を促してドアを開けると、大和はその先の廊下を乾の足に気を遣いながらゆっくりとした歩調で歩いていった。

「個人の部屋は全部2階にあるんですよ。階段、少し長いですけど大丈夫ですか?」
「あ、はい」
乾も足を庇いながら歩くことに慣れてきたらしく、手摺りに掴まりながら一段ずつゆっくりと階段を登っていった。
大和が乾の真後ろにいるのは、乾の足元がふらついたときの支えとなるために違いない。
初対面にも関わらず、あれこれと気を遣ってくれる大和に乾は感謝をするとともに、ますます彼に対する興味が湧いてくるのを感じていた。

「ここですよ」
階段を登りきって、その先にいくつか並んでいるドアの一つの前で大和は立ち止まった。
ドアを開けてすぐ側の壁にあったらしいスイッチを押す。
薄暗かった廊下に部屋の明るい光が洩れてきた。
入ってみると想像していたよりもかなり広く、乾はぐるっと部屋の中を見回してみる。

部屋のほぼ中央には乾が最初に通された居間にあったような丸いテーブルと椅子が2脚。
窓の側には大きめのベッドがあり、その反対側にはやはり大きめの木製の机と椅子が備えてある。
机の横には乾のリュックが置かれていた。
そして何の本が入っているのか分からないが本棚と、クローゼット、グラスや絵皿が飾られている棚。

「どうぞ」
ドアの側で部屋の様子を見ていた乾を、既に中に入っていた大和が促した。
「そこのドアがトイレとバスルーム。着替えはそこのクローゼットに入ってますから自由に使ってください」
「ありがとうございます」
「それから、そこの棚の下は小さいですけど冷蔵庫になってます。飲み物しか入ってませんけど、よかったらどうぞ」

一通り説明をすると大和はドアに向かった。
「疲れているところをあまり邪魔しちゃいけませんからね。僕はこれで失礼します。何か必要なものがあったり、足が痛み出したりしたら遠慮なく言ってくださいね。僕の部屋は廊下の突き当たりになりますから」
「本当にありがとうございます」
乾がお辞儀をするのを見て大和は「いいんですってば」というように笑いながら軽く手を振った。
そして
「じゃ、おやすみなさい」
と言いながら、廊下に出て静かに部屋のドアを閉めた。

 

一人になると急に疲れが増したようで、乾は大きな溜め息をつくと窓際のベッドに行ってドサっと腰を下ろした。
そのまま仰向けに倒れこみ、今の自分の状況を考えてみる。
今朝は田舎町の安宿で目を覚ました。
そのまま森に入り込んで数時間を彷徨った挙句、今はこんなに気持ちの良いベッドに横になっている。
なんだか全てが夢のような気さえしてくる出来事に、こんなこともあるんだなあ……と不思議な気持ちになっていた。

本当はこのまま眠りたかったが、とにかく昼間にかいた汗を流したかった。
首筋に手を当てるとベタベタとした感触がして気持ちが悪い。
これ以上ベッドで横になっていると本当に眠り込みそうだったので、乾は無理に身体を起こしてクローゼットに向かった。
扉を開けると数枚のタオルとバスローブ、パジャマやTシャツなどが入っている。
乾はそこからバスタオルとTシャツを手にして、大和に教わったドアを開けバスルームに入っていった。

 

手っ取り早くシャワーで汗を流してから、乾はゆっくりと浴槽に身体を伸ばしていた。
縁に頭をあずけて暖かい湯にその身を委ねていると全身からゆっくりと疲れが抜けていくのか感じられる。
出窓にはコロンのような小さな瓶が置いてあり、そこから僅かに漂ってくるオレンジのような香りが更に乾の気持ちをリラックスさせていた。

目を閉じると大和や不二の顔が浮かんでくる。

―― 不思議な人たちだな。

森の中に突然現れた屋敷にも驚いたが、そこに住んでいるのが大和や不二のような若い人たちだったというのも意外だった。
こんな場所には現役を引退した初老の夫婦などがひっそりと暮らしているのが似合うような気がする。
それほどこの屋敷の雰囲気は静かで落ち着いていた。
ふいに『僕の手伝いをしてもらっている』という不二のことを指した大和の言葉を思い出した。
あれは家の中のことを手伝ってもらっている、というようなニュアンスではなかったような気がする。
それに不二は大和のことを先輩と言っていた。
そして食事には顔を出さなかった『クニミツ』。
大和が呼び捨てにしていたのだから、彼よりも年下なのだろう。
弟? もしかして、息子……?

二人の話を思い出すと聞きたいことが次から次へと浮かんでくる。

―― でも、あんまり聞くのは失礼だろうなあ……。

いくら気を遣わなくていいとは言われても、それが乾の元来持っている性質なのだから仕方がない。
砕けてくれと言われる方が彼にとっては難しいことだった。

 

バスルームを出ると心地良い疲労感に身体を包まれているようで、乾はふわふわとした気持ちでベッドに腰をかけた。
湯に浸かっていた身体は火照っていてTシャツを着る気にはなれない。
かといってトランクスだけでいるというのも他人の家では落ち着かないので、パジャマのズボンだけを履くことにした。

少しの間ぼけっとしていると、バスルームへ行く前に外した湿布と包帯が無造作に枕元に置かれているのが目に入った。

―― もう一回やっておいた方がいいんだろうなあ。

そう思ってシワの寄った湿布に手を伸ばすと、それは僅かながらもひんやりとしていて気持ちが良かった。
新しい湿布を貰うのにわざわざ大和を呼ぶのも気が引けたので、乾はそのまま使っていた湿布を足首に当てた。
手で触るよりも冷たく感じて、乾は思わず息を呑む。

そのとき、ドアを小さくノックする音が聞こえてきた。

「はい」
反射的に返事をするとドアが控えめに開けられて、そこからちょこんと顔を覗かせたのは不二だった。

「ちょっと、入ってもいい?」
「あ、どうぞ」
乾が答えると、不二は「お邪魔しまーす」と言って部屋に入ってきた。
その手には昼間、大和が持っていた木箱があった。

「だめだよ、一度使った湿布をまた使うなんて」
乾のしようとしていたことを軽く笑いながら咎めて、不二はベッドのサイドテーブルに木箱を置いた。
何気なくそこに視線を移すと、枕元に置いてあるTシャツも一緒に目に入ってきた。
乾は自分がパジャマのズボンだけしか履いていなかったことを思い出し、僅かながら落ち着かなくなる。
別に恥ずかしいというわけではないが、やはり今日会ったばかりの人に対してこの格好はどうかと思うのだ。
それでも、不二が来たのを見てTシャツを着るのもなんとなくワザとらしい気がして、結局乾はそのまま不二が木箱から新しい湿布を取り出すのを見ていた。

「ベッドに足、伸ばしてくれる?」
そう言いながら、不二は乾の足元の方に回ってベッドに腰を下ろし、伸ばされた右足を自分の太ももに上げさせた。
少しだけパジャマの裾を捲くり、湿布を当てる。
さっきよりも更に冷たい感触に乾の身体が一瞬だけ震えた。
掌で軽く湿布を押さえると、不二もまた慣れた手つきで器用に包帯を巻いていく。

その様子を見ながら浴槽の中で考えたいろいろなことを不二に聞いてみようかと思ったが、やはり初日から聞くのは失礼だろうと思い、乾は言葉を飲み込んだ。

「はい、できた」
そう言って不二は乾に顔を向けてにこりと微笑んだ。
サイドテーブルにある照明の灯りを受けて、彼の瞳が一層明るく透き通って見えた。
思わずその瞳を見つめてしまう。

すると不二は僅かに視線をずらして、ふふ……と小さく笑うと、またまっすぐに乾を見つめ返してきた。

「珍しい? この目」
「え……」
「さっきも珍しそうに見てたみたいだから」
「あ、……すいません」
不躾な自分の行為を恥じて、乾が目を逸らせた。

「ああ、いいんだよ。気にしないで。クォーターなんだ、僕」
「そうなんですか?」
不二の言葉に乾が視線を戻した。
「うん。お祖父さんがね、フランスの人なんだ」
そう言われて、確かに純粋な日本人でここまで明るい瞳の色はないだろうと納得できた。

「ねえ、君、今日はずっと森の中を歩いていたんでしょ?」
「え、はい……」
急に話が変わって乾は戸惑った。
しかし不二はそんなことは気にしない様子で「ちょっと、ごめんね」と言いながら乾の足に手を伸ばしてきた。
いきなりふくらはぎのあたりを触られて、乾は思わず足を引いてしまう。
それでも不二の手は足のあちこちを調べるように動いていた。

「やっぱり、かなり張ってるね。きっとこのままじゃ明日が辛いよ?」
「そ、そうですか?」
多少のくすぐったさに上ずりそうな声を抑えて乾は答えた。
「マッサージしてあげるから、ちょっと待っててくれる?」
言うなり不二はベッドから立ち上がってドアに向かった。

「あ、いいです、そんな……」
乾は慌てて止めようとしたが、不二は開けたドア越しに振り返って
「いいの、僕の趣味だから」
と言い残して部屋を出ていってしまった。

「趣味? マッサージが、趣味……?」
唖然としたまま閉じられたドアを見つめていた乾だが、身体の疲れからか何かを考えることも既に面倒になってきている。
結局、そのまま上体を横倒しにしてベッドに沈み込み、毛足の長いベージュの絨毯を見つめていた。

やっぱり不二も不思議な人だと思う。
最初の印象ではもっと落ち着いて大人しい人だと思っていた。
しかし今の様子を見る限り、少し子どもっぽいところがあって、笑うとその表情は自分よりもずっと年下のように感じられる。

『珍しい?』

そう言って笑っていた不二の顔を思い出しながら、乾の目は自然と閉じられていった。

 

足に何か暖かいものを感じて、乾は目を開けようとしたがどうしても目蓋が重くて半分も開けられない。
無理に開けようとするとなんとなく目に空気が沁みるようなシバシバとする感じがして、その不快感にすぐ目を閉じてしまった。

自分のふくらはぎに暖かいものが纏わりついて、それがゆっくりと動いている。
鼻腔には甘い香りを感じて、乾は更にそれを吸い込もうと深呼吸をしてみた。

―― そうだ……、マッサージ……?

マッサージをしてあげると言って部屋を出て行った不二のことを思い出した。
きっと足元には彼がいるのだろう。
ぼんやりとした頭は自然と不二の茶色い瞳を思い描いていた。
『すいません』と言おうとするが、身体全体が鉛のように重たくて、唇を動かすのもひどく大変な作業のように感じられた。
それでもなんとか薄っすらと目を開けてみる。
部屋の灯りは落とされているようだが僅かな灯りが自分を照らしているらしいことに気付き、重たい頭を巡らせてその光源を見ようとした。
ぼんやりとした乾の瞳が捉えたのはベッドサイドに置かれている小さな置物だった。
その中で蝋燭の炎がちらちらと揺れている。

不思議とその炎から目を離すことができず、乾は今にも閉じそうな目をじっと小さな炎に向けていた。

「起きちゃった?」
静かな声が聞こえてきた。
確かに不二の声のようだが、それにしてはさっきとは比べ物にならないくらい低く感じる。
「ちょっと仰向けになってもらえるかな?」
その言葉と同時に身体に手が添えられ、乾もただ言う通りに自分の身体を仰向けにする。
それだけの動作なのに、今の乾にはひどく重労働のように感じられた。

「ありがとう。眠っててもいいよ?」

意外なほど耳の側で囁かれた言葉に、乾の身体を何かゾクリとするものが駆け抜けた。

しばらくすると再び脚に暖かいものを感じた。
それが今度はふくらはぎを通り越して、腿の方にまで登ってくる。
オイルを塗っているらしい不二の手は滑るように腿の上を行き来していた。

その感触があまりに心地よくて、自然と乾の唇から吐息が洩れる。

甘い香りが更に濃厚になり、それが乾の身体全体を包み込んでくるように感じられる。

そうして引きずり込まれるような眠気と脚を動き回る心地よい暖かさの中で、次第に乾の意識は薄れていき、やがて底なしの深淵へと落ちていった。

 

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(2003/10/8)
 


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