「ハロウィンパーティーをやろう」
深町と康平の帰りが遅いのをいいことに、新しくオープンした店で食事をしていた速水と雅行の間でいつの間にかそんな話ができあがっていた。
間で、というよりは速水が提案してあまりに楽しそうにしゃべっているから雅行も断るに断れず、それどころか今や「家族ぐるみのお付き合い」のようになっている彼らとパーティーというのも悪くないと意外に乗り気になっていたりする。
話を聞くとパーティーとまではいかないが毎年二人でそれらしいイベントをやっているそうで「かぼちゃのデザートなら任せてよ」と速水はにっこり笑みを浮かべた。
ちなみに深町は「おばけかぼちゃ」を作るのが得意らしい。
速水のお菓子の腕が確かなのは証明済みなので、甘いものが大好きな康平はきっと喜ぶだろうなとかぼちゃのデザートにぱくつく姿を思い浮かべる。
「じゃ、決まりね」
そんな雅行の様子を了承と受け取ったのか、速水はさっそく何を作ろうかと楽しそうにデザートの選別に話を進めた。
パーティの準備は昼過ぎから始まった。
午前中に速水が必要なものは全て揃えていたらしく、朝食を兼ねた軽い食事を済ませて雅行が部屋を訪れた時にはキッチンのカウンター上に材料や器具が綺麗に並べられていた。
雅行が来たのと入れ替えに深町が「じゃあ、後でな」と部屋を出る。
深町と康平はおばけかぼちゃを作ることになっていた。
どこで調達してきたのか、雅行たちの部屋には既に大小いくつかのかぼちゃが運びこまれている。
「本当は思いっきり大きいのを作ってほしいんだけどね」
はい、とエプロンを差し出しながら速水はくすりと笑った。
「大きいの、ですか?」
「そう。いつだったか100キロ近いかぼちゃを作ってもらったんだ」
「100キロ……」
「でもね、あれってけっこうすぐに腐ってきちゃうんだよ。始末するのに苦労してさ、それからは適当な大きさのしか作らなくなっちゃって」
「はあ……」
100キロのかぼちゃってどれくらいの大きさなんだろうと、あれこれ考え込んでいるところに速水がメモを渡してきた。
「はい、これがメニューと手順ね。一応目通しておいて」
「あ、はい」
慌てて受け取ったメモには今夜の料理の品書きと簡単なレシピが書かれている。
―― この人、店を開いてもやっていけるんじゃないか?
人当たりがいいうえに頭も切れる。
かつての憧れの先輩と、今こうしてお揃いのエプロンをしてキッチンに立っているのがなんだか不思議に思えてくる雅行だった。
二人の役割分担としては速水がメインで雅行がサポート。
それはまるでテレビの料理番組のようで、雅行があれこれ質問しては速水が答えるといった感じで進んでいった。
「本当は全部手作りでいきたいんだけど、時間もあまりないからね」
などと言いながら適度に出来合いのソースや惣菜らしきものを使いながら進めていく手際に菊池は「はい……」などと返事をしながら感心しきりになっていた。
ただ気になるのはキッチンの端に置かれていたワインで、グラスに注いだそれに速水がけっこう手をつけているということだった。
幾度か一緒に食事に出ているが、いまだに速水がアルコールに強いのか弱いのかは掴めていない。
だが料理をしながら飲むのがクセなのか、その様子はけっこうさまになっていて雅行の目はついグラスを持つ手に注がれてしまう。
綺麗な指先だなと思った。
そういえば、研修で彼についていたときもキーボードを叩くその指に見とれたことがあったことを思い出した。
それは女性の指先のしなやかさとは違うものの、少し目立つ節だとか動き方の正確さだとか、惑わせる美しさよりもあっさりとした潔さのような気がした。
「……切りね」
「は?」
いきなり目の前に差し出されたタマネギに菊池は呆けた声を出してしまった。
「みじん切りにして?」
「え? あっ、はい。……すいません」
慌ててタマネギを受け取る雅行を速水は怪訝そうに見つめてくる。
その視線を受けて、雅行はつい速水の指先に見とれていたのだと気がついた。
「疲れた?」
じっと顔を覗き込んでくるのに少しこそばゆい感じを受けて、雅行は手にしていたタマネギをまな板の上に置いた。
「いえ、大丈夫です」
そう言いながら包丁を入れてみじん切りを始める。
しかしその間、ずっと速水の視線が自分の手元に向けられているのを感じてどうにも落ち着かなかった。
自分も決して料理が下手だとは思わないが、さすがに速水には敵わない。
緊張しながら包丁を動かしているとすぐに目が痛くなってきて涙がじわりと滲んできた。
―― ああ、タマネギ冷やしてなかったから。
きっと速水だったらもっと手早くしていたんだろうなあ、と思いながら包丁を置き眼鏡を少しずらして目元を押さえる。
と、突然その手首を掴まれてぐいと引っ張られた。
え? と目を瞠ると同時に手首は速水の視線の高さにまで掲げられている。
「これ、さっきから気になってたんだ」
何のことだか分からずに掴まれた手首のあたりを見てみるが何も気になるようなことなど見当たらない。
何がですか、と聞こうとしたところで速水の空いてる方の手が腕まくりをしていた雅行のシャツの袖口を少しだけ引き上げた。
「これ」
「…………あ」
指を当てられたそこを見ると赤い痣が綺麗に浮き出ていた。
「これは……」
無意識にそれを隠そうとして手を引いたが、思いのほかしっかりと手首を掴まれていたようで速水の手を振りきることはできなかった。
『もう長袖の季節だからな』
昨夜、康平が言ったのはこういう意味だったのかと今更のように気づいた。
康平はやたらと人の身体に痕を残したがるから、他人の目に触れるようなところには絶対につけるなとキツく言ってある。
が、この時期になれば腕はシャツで隠れるし、雅行は外で腕まくりなどしないと思っての確信犯だったのだろう。
―― まったく……。
痕をつけられたことに気づかなかった自分の迂闊さと康平の考えのなさを呪いながらちらりと速水の表情を窺う。
視線が合った瞬間、くすりと小さく笑われた。
まるで昨夜のことを見透かされているようで気まづくなる。
「あの……」
僅かに腕を引いて離してくれるよう促してみるが、しっかりと掴まれた腕が解放される気配はなく速水は小さな痣にじっと視線を落としている。
どうしていいのか分からず、雅行は腕を任せたまま動かずにいることしかできなかった。
それはほんの僅かの時間だったのだろうが雅行には随分と長く感じられて落ち着かない。
「速水さん?」
再度声をかけてみたが、その瞬間。
腕を引き寄せられたかと思うと速水が痣に唇を寄せていた。
やわらかい部分に触れてくる唇がくすぐったい。
ぞくりとしたものが背筋を這うのを感じながら、雅行は思ってもみなかった行為に唖然としていた。
「意外に器用なんですねぇ」
康平はテーブルに頬杖を付きながら、向かいでお化けかぼちゃの顔をくり抜いていく深町の手元ををまじまじと見つめていた。
「意外に、は余計だ。ほら、手ぇ動かせよ」
「はいはい」
康平は深町が最初に取ったかぼちゃのワタからぽつぽつと種を取り上げていた。
「ウマいんですか、これ?」
「あいつは好きらしいけど、俺はどうもな」
「へぇ……」
「……こんなもんか。どうだ?」
深町は手にしていたナイフを置いてくり抜いた顔を康平の方へと向けた。
右肩を軽く回しながら首をこきこきと動かし大きく息をついてから、「ちょいと一休みしようや」と席を立つ。
そのままキッチンカウンターに置いてあったシャンパンを1本手にしてきた。
「あ、それは今夜飲むやつじゃないんですか?」
それは深町が持ってきた数本のアルコールのうちのひとつだった。
「まあ、飲むには飲むけどな……」
そう言いながら「グラス、借りるぞ」と食器棚から手頃なグラスを2つ、康平の前に置いた。
「あいつに今飲ませるとやっかいなことになりそうだからな。部屋にあった酒、全部持ってきた」
「やっかい?」
種を取り除く手を休めて康平は眼前に置かれたグラスとシャンパンを見つめた。
―― これって速水さんの好みなんだろうなあ。
速水が選んだものだと思うと、いかにも美味そうに見えるから不思議だった。
「あいつ、料理しながらけっこう飲むんだよ」
「はい」
「それに、今は菊池くんが一緒にいるだろ?」
「はぁ」
「しかも彼はあいつのお気に入りだ」
「は……?」
いまいち内容の呑み込めていない康平の前で、深町はシャンパンのボトルを開けにかかった。
「あの、それはどういう……?」
「ん?」
「いえ、だから速水さんが酒飲んで雅行がお気に入りって……」
「ああ、でもそんなに心配するこたないぞ。せいぜいじゃれついてチュウするくらいだから」
同時にポンッ、と勢いのいい音とともにシャンパンのコルクが外れて康平の意識は一瞬そちらに移ってしまった。
黄金色の液体が細かな気泡を立てながらグラスに注がれていく。
その様子を見つめながら康平は今聞いたばかりの言葉を頭の中で反芻していた。
―― せいぜいじゃれついてチュウするくらい……?
康平のグラスが半分ほど満たされると今度は深町のグラスにシャンパンが注がれる。
―― チュウ……?
二つのグラスにシャンパンが入ると深町はボトルを置いて「けっこうイケるぞ」と言いながらグラスを取った。
「チュウって、それって……、え? 速水さんが?」
「あ?」
「速水さん、そんなことするんですか!?」
「いや、だからじゃれつく程度だって」
「でもチュウしちゃうんでしょっ!?」
「たまにだよ」
康平の脳裏に深町と速水が引越しの挨拶をしにきたときの光景が蘇ってきた。
あのときの雅行は、まるで初恋の人に会ったかのように少しはにかんで嬉しそうな表情を浮かべていた。
そういえば入社後の研修のときにも嬉しそうに速水の話をしていたことを思い出す。
雅行が速水に尊敬であれ憧れであれ、とにかく好意を持っているのは間違いない。
そんな相手には驚くほど無防備になってしまうことも康平は知っている。
そのうえ……、
―― 雅行はけっこう雰囲気に流されやすいんだぞっ。
あらぬ想像が一気に頭の中を駆け抜けて、康平は思わずガタリと派手な音をさせて椅子から立ち上がっていた。
ときおり唇の間からちらりと紅い舌が覗いて小さく動いていた。
その光景とくすぐったさを伴う感覚が背筋を伝って身体の神経ひとつひとつに溶け込んでいくような気がする。
腕を振り解くのを忘れたようにその様子に見入っていた雅行だったが、ふいに唇の触れている肌に小さな痛みを感じて我に返ったように二、三度瞬きをした。
「……っ、あの……速水さん!」
反射的に引いた腕はあっさりと離された。
目を落とすと、そこにあった痣はさっきよりも鮮やかに紅く染まって浮き上がっている。
くすりと小さな笑みを浮かべて見つめてくる速水の視線に耐えられず、「ふざけないでください」と呟くとシャツの袖を下ろしてボタンを留めた。
「ごめんね。君が艶っぽいから、つい……」
「…………」
ちらっと見た速水の表情は雅行の知っているいつもの彼とは違っていて、でもそれが何故なのかを考えると胸の奥がどきりと跳ねる。
言葉通り単にふざけているだけかもしれないが、一度意識してしまった気持ちは更に落ち着きを失わせるだけだ。
包丁を握り直し手元の細かくなったたまねぎをボウルに移しながら、いまだに注がれている視線を痛いほどに感じてしまう。
雅行はなんとかそれを振り払おうと作業に取り掛かろうとしたのだが、次に何をすればいいのか分からなかったことに気づいて一つ息をついた。
「次はどうします?」
と仕方なく速水を見やる。
「そうだね……。パイに飾る生クリーム作ってくれる?」
「はい」
雅行は視線に示された冷蔵庫から生クリームを取り出し、指示を出した速水はカウンターの端に置いてあったグラスにワインを注いだ。
ちらりと横目に速水を窺ってみると目元が僅かに紅く染まっているのに気づく。
どれくらい飲んでいるのだろうとボトルを見るが、色が濃いうえにラベルが邪魔をして残りの量を判断することはできない。
視線を手元に戻して泡立て器のスイッチを押せば、面白いほど簡単に液状の生クリームは飾り用のホイップクリームに変化していった。
「あ、あんまり固くしないでね」
速水の声に「え?」と顔を上げた瞬間、雅行の顔にピっと何かが跳ねてきた。
「止めて、止めて!」
「え? え? あっ!」
顔を上げたついでにスイッチが入ったままの泡立て器をクリームから離してしまったらしい。
「す、すいません!」
慌ててスイッチをオフにするが既に遅く、気が付けば顔や手元のあちこちに白いクリームが飛び散っていた。
一瞬唖然とした二人だったが、速水が先にくすくすと笑い出す。
「すいません……」
可笑しいやら情けないやらで、自己嫌悪に陥りそうになりながら雅行は手近の布巾を取ってクリームの散ったキッチンを拭き始めた。
と、ふいに目の前の視界が塞がれて頬に柔らかい感触を覚える。
「ここにもついてるよ」
顔を離した速水は楽しそうな笑みを浮かべていた。
―― え?
再び唖然とする雅行を気にするふうもなく、「ほら、ここにも」と指を鼻先に伸ばしてくる。
「ね?」
と見せられた指には確かにクリームがついていた。
「あ、りがとう……ございます」
違う、こんなこと言ってる場合じゃないと頭は分かっているのに、薄っすらと紅い速水の目元から視線を離すことができない。
ふわりと笑みを浮かべる瞳は潤んでいるせいか綺麗な光を湛えていた。
「まだついてる」
頬を軽く押さえられて、潤む瞳を見つめている間にもそれは次第に眼前に近づいてくる。
「あの……」
僅かに身じろぎをする雅行を速水の声が制した。
「じっとして」
「あ……」
それでも言葉を発しようとしたものの、口の端に柔らかい唇が触れて湿った感触がその一角を舐めていった。
「甘い」
僅かに離れて囁かれた言葉に胸の奥がきゅっと痛む。
目を見開いてもあまりに近くにあるその瞳は焦点が合わずにぼやけたままだ。
ただ緩く頬を押さえられているだけだから離れようとすれば造作もないことなのに、今の雅行にそんな行動を取るという選択肢は思い浮かばなかった。
くすりと小さい笑みが聞こえたと同時に再び顔を寄せられて、柔らかいそれは僅かに開かれたままの雅行の唇に重ねられる。
一瞬触れてすぐに離れて、しかし少し場所をずらしてもう一度触れて。
微かに甘いアルコールの香りが漂ってくる。
雅行の瞳も自然と伏せられて、唇に触れてくる心地よい感触に身を任せていった。
胸の奥底に感じた痛みはいつの間にか甘い痺れに取って変わっていく。
やがて濡れた音を残して唇が離れていくと、そのあまりの寂しさに雅行は小さく不満の声を漏らしていた。
表情にもそれが表れていたのだろう。
少し離れた速水は指先でゆっくりとそれまで触れていたところをなぞっていった。
「あ……っ」
濡れて敏感になっていた唇は、そんな小さな刺激にも耐えられないかのように声を上ずらせてしまう。
自分でも驚いたその声の甘さは、雅行に僅かな理性を取り戻させると同時に更に熱い痺れをその心にもたらしていた。
「気持ちいい?」
「……っ」
つい身を任せていた雅行だったが、その声に流れを断ち切られたかのように息を呑んで身体を離した。
「すいません」
俯いてそう呟いた雅行の頬に掌を当てて、速水はもう一度その顔を上げさせる。
「君が謝ることじゃないよ」
ゆっくりと甘い吐息が近づいてきて、それでも僅かな理性で顔を背けようとした瞬間、聞きなれた落ち着いたチャイムの音が来客を告げた。
あとほんの少しで触れそうだった唇がぱっと離れて、二人同時に玄関の方に視線を向ける。
その間にもチャイムはひっきりなしに鳴り続けて、それは甘い刺激に溺れかけていた雅行の心を現実に引き戻した。
視線を戻して速水を見やると、彼は二、三度瞬きをしてそのまま玄関の方を見つめている。
「来客みたい……ですよ?」
一向に動こうとしない様子に雅行が躊躇いつつも声をかけると、「え、あ……。ああ」と曖昧な返事をして近くにあったスツールに腰を下ろしてしまった。
「ごめん、出てくれる?」
「え? はい……」
力なく頬杖をついてカウンターに寄りかかっている速水はどこか気だるげな表情をしてふわりとした笑顔を向けてくる。
そんな姿に再び胸の鼓動が早まるのを感じながら、雅行は相変わらずチャイムの音が続く玄関へと出て行った。
あまりに落ち着きのないその音に、こんなことをするヤツはもしかしてとドアの覗き穴から外を窺ってみる。
思った通りの姿がそこにあることに半ば呆れて、そして半ば動揺を覚えながら雅行はドアを開けた。
「そんなに何度も鳴らさなくても……」
「雅行っ!」
勢い込んで入ってきた康平に雅行の言葉がかき消される。
「大丈夫か、お前!?」
「は?」
がっしりと両肩を掴まれたままぐいと顔を寄せられて、いきなりのことに雅行はただ唖然として康平の顔を見つめているしかできない。
「大丈夫って、なに?」
「いや、だから……。えっと、速水さんは?」
「いるけど、どうしたんだ?」
「だから、その……、なんだ、忘れ物、そう、深町さんの忘れ物!」
落ち着きのない康平は雅行の僅かな動揺を感じ取る余裕もないらしい。
訝しげな表情を見せつつも内心ではそのことにほっと息をつきながら、雅行は自分たちの部屋と同じつくりをしている室内をキッチンへと戻っていった。
が、そのキッチンの光景に二人同時に立ち止まる。
「速水さん?」
「寝てるじゃん」
カウンターに頬杖をついていた速水は、その格好のままうとうとと居眠りをしていた。
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