記念日
 

 

「ほら、おみやげ」

うつ伏せに寝転がって本を読んでいた菊池が「ん?」と目を上げると、へへっと笑いながら尾栗が小さな箱をテーブルの上に置いたところだった。
「何?」
ページを開いたまま本を伏せた菊池は、半身起き上がってその箱を一瞥してから尾栗を見上げた。

 

 

 

「あーっ、そうだ!」
尾栗がいきなり叫んだのは遅い朝食を済ませて何をするでもなくごろごろと本を開いたりテレビを見たりしていた日曜日の昼近くだった。
それまでだらけた格好で寝そべっていた尾栗が「そうだよ」と呟きながら立ち上がり、ハンガーにかけてあったジャンパーに袖を通したのだ。 そんな様子を菊池は少し驚いたように見上げていた。
ときおり見せるこういった突拍子のない行動にはいまだついていけないところがある。
「ちょっと買い物行ってくっから」
「……ああ」
そうして菊池が呆気にとられているうちに尾栗はばたばたと派手な音を立てながら部屋を出て行ってしまったのだ。

 

それから尾栗が「ほら、おみやげ」と言って帰ってきたのは30分ほど経ってからだった。
その箱に書かれているロゴを見ると駅から下宿の間にあるケーキ屋のもので、甘いものが好きな尾栗がときどき買いにいっては「おみやげー」とテーブルの上に嬉しそうに置くものだ。

「さっき食べたばっかりだろう」
呆れたような声にため息をまぜて菊池は再びうつ伏せになって本を開く。
そうしてさっきまで読みかけだった場所を探そうと視線を走らせた途端、ずしりと重い衝撃を背中に受けて思わず息を詰めてしまった。
「……っ、なんだよ!」
慌てて振り返った拍子に本はぱたりと閉じ、菊池の目の前には尾栗の嬉しそうな表情が迫ってくる。
「記念日」
「はぁ?」
なんの、と聞く前に尾栗は菊池の首筋に鼻先を埋めるようにしてじゃれついてきた。
「康平、おい」
くすぐったさに首をすくめながら尾栗の下から抜け出そうともがいてみるが、背中にべったりと張り付いた身体を振り落とすことはできなかった。
少しの間「なんなんだよ」と文句を言いながら足掻いてみたがこんなふうにじゃれてくる尾栗には何をしても無駄だと分かっている。
それでもとりあえずは足掻いてみせるのは菊池の常だった。
ふりほどこうとすればするだけくっついてくる、本当はそんな感じが心地よくて好きだった。

「そろそろ一年じゃん」
菊池が大人しくなった頃を見計らって尾栗が呟く。
「何が?」
「俺たち」
「…………」
尾栗の言わんとしていることの意味はすぐに分かったのだが、それをすぐに認めるのはなんとなく恥ずかしかった。

きっとあのときのことだろう。

誰もいない学生舎の部屋で、切羽詰ったような尾栗と初めてキスをした。
尾栗は気づいていなかったかもしれないが、菊池にしてもあのときは自分の感情を持て余してどうしていいのか分からないときだった。
あのとき、あのキスがなければ今もそんな訳の分からない状態の中に自分はいたのかもしれない。
秘密を共有するようになってからそろそろ一年。
もうそんなに経つのかと、菊池は小さく息をついて苦笑した。

「お祝いにあとでケーキ食べよ」
「なんのお祝いだよ」
「だからぁ、付き合い始めて一年の記念日」

 ―― 付き合う?

さらりと言った尾栗の言葉が妙に菊池の心にひっかかった。
結局、それが喉にささった小骨のように気になって仕方がなかったのだ。
自分は男しか好きになれないわけでもなくそれは尾栗にしても同じことで、それなのにこうして性的な交渉を持っていることをどう呼べばいいのだろう。
友達でもなく恋人でもないこの名指しがたい関係を菊池自身どう捉えればいいのか、これから先、どうしていけばいいのか分からなかった。

いや、分からないというよりも、それはどちらかといえば不安に近いものだったかもしれない。
いつまでもこんな関係が続くはずもなく、いずれはお互いに好きな女性もできてこの関係もなくなってしまうのだろう。
それは一体どんな終わり方になるのか。
終わったとして、果たして元の親友といえる存在に戻れるのか。

こうして一緒に過ごしている間にも、その時が近づいてきているのだと思うとなんとなく寂しく虚しいものが胸を掠めて小さな痛みをもたらすのだった。

 

「雅行?」
呼ばれて背後に首を向けると当然のように尾栗の顔が近づいてきて唇が触れた。

最初こそ無邪気で悪戯のように軽いキスもすぐに深く濃密なものに変わっていく。
夕べも今朝も幾度となく身体を触れ合わせて欲を満たしたはずなのに、そんなキスをしているとこれからもたらされる快感を期待してすぐに身体の奥が疼いて熱を持ち始めてしまう。
それほど頻繁に二人きりになれる機会があるわけではないけれど、キスから互いの身体をまさぐり始めるタイミングが取れるほどには回数を重ねていた。

キスをしてじゃれあって、欲が果てるまで感じる場所を愛撫して。
やってることは前と変わらないのに、相手を求める気持ちは数倍にも強くなっていた。
快感の絶頂に押し上げられる瞬間、いっそこのまま溶け合うように一つになれたらと感じることもあった。
そんな感情をどうすればいいのかと、気だるいまどろみの中でぼんやりと考えることもしばしばだ。

一体、この関係はなんなのだと、どうしてもそれを突き詰めてしまいたくなる。
互いに「恋人」と言ってしまえば気がすむのか、それとも単なる男としての性欲の捌け口なのか。
しかし恋人というほど強い感情でもなく、かといって性欲の捌け口と言うには感情が伴いすぎている。

自分の気持ちはどちらにも当てはまるものではなく、なのにその答えはすぐ目の前にあるような気がしてもどかしかった。

 

「ん……っ」
尾栗の指が菊池の欲に絡みついた途端、疼くような甘さが背筋を伝わって身体を強張らせる。
同じように菊池も尾栗のそれに手を伸ばして快感を分かち合おうとしたのだが、その手はあっさりと尾栗に掴まれて止められてしまった。

「今はいいよ」
「ん?」
「あとでしてもらう。今は何もしないでいいから」
「…………」

少し訝しく思いながらも、菊池は伸ばしかけた手を所在なげにカーペットの上に投げ出した。
いつもは一緒にいけるように互いの熱を摺りあってきただけに、今さら一人で先にいかされるのは妙に気恥ずかしい。

「康平……」
やっぱり、と少し身体を起こして手を伸ばそうとした途端、菊池はそれまでに味わったことのない快感に驚いて身をすくませた。
「ちょっ……、康平!」
慌てて半身を起こしてみれば、ちょうど尾栗が菊池の欲に濡れたものから唇を離したところだった。
続けてぴんく色の下が覗いてその先端を舐めあげる。
その光景と快感がないまぜになって、菊池は反射的に腰を引いて声を荒げてしまった。

「ばかっ、何やってんだよ!」
しかし慌てふためく菊池とは対照的に、尾栗はきょとんとした表情で菊池を見つめてくる。
「何って……、だって、こうした方が気持ちいいかなと思って」
「そんなの、……そんなこと、するなよ」
「なんで?」
「あ、当たり前だろ、女じゃないんだから……っ」
じっと見つめる尾栗の瞳から逃れるように、菊池は手をついて背後の壁の方ににじり寄った。
が、尾栗は更にその間をつめるように顔をつきつけてくる。

「べつに女がするって決まってるわけじゃないじゃん」
「でも……」

女性との経験のない菊池にしても、男女がセックスに至るまでにはどんなことをするのかという知識くらいは当然ある。
男女が互いの性を口で愛撫することだって当然のように知っていた。
でもそれは相手への愛情表現の一つであって、いずれは身体を繋げることへの途中にあるものだ。

そんな行為を尾栗が自分に対してしたことに、菊池は予想外のショックを受けてしまった。

「嫌だった?」
菊池の心中など知るよしもない尾栗は眉を顰めて真剣な顔で聞いてくる。
「だから、そういうんじゃなくて……」
「なくて?」
「ヘンだろ、そういうの」
「え……、そうか?」
「そうだよ、ヘンだよ」
「んー……」
尾栗は勢いを削がれたように菊池から少し身体を離して座り込んでしまった。
これ幸いと、菊池はさらに後ろに後退する。

「べつに、好きなんだから普通だと思うけど?」
不満そうに尾栗が唇を尖らす。
「やっぱさ、こういうことしてんだから、相手には気持ちよくなってほしいし」
「…………」
「そういうの普通だろ?」
「でも……」
「でも? なに?」

どうにも煮え切らない菊池の言葉に尾栗も我慢できなくなってきたらしい。
ずいと顔を近づけて、ちゅ、と小さな音とともにキスをしてきた。

「今のは、嫌?」

菊池が身体を僅かに引いて首を振る。
と、今度は少しだけ長く唇を合わせてそっと舌で口内をくすぐった。

「嫌じゃない?」

弱気そうに頷く姿に、今度は耳の縁から首筋を通って鎖骨にキスを落とす。
今まで何度もされた行為のはずなのに、今はそれが酷く特別なもののように思えて菊池はぎゅっと尾栗の肩に手を添えた。
鎖骨と首筋を行ったりきたりする唇が焦れったくてもどかしい。

「これも嫌じゃないよな?」

首筋に顔を埋めていても頷いたことは気配で分かるのだろう。
そのまま菊池の腕を上げさせて脇の下をくすぐり、少し横にずれて胸の先端を甘く噛む。
いつになく緊張に身体を強張らせているのが震える息遣いから伝わってきた。

「嫌じゃないなら、いいだろ?」

わき腹のあたりに手を滑らせながらもう片方の手でそっと起立する欲を握りこむ。
一瞬息を詰める気配と同時に尾栗の肩にかけられた手に力がこもった。
濡れているそこに指を這わせると我慢ができないかのように菊池の腰が揺れる。

「気持ちいい?」
胸から唇を離して菊池の表情を覗き込む。
目をぎゅっと閉じて懸命に声を抑えようとしている唇に軽いキスをして囁いた。
「いいだろ?」
しかしうつむき加減の菊池から答えを聞くことはできない。
が、尾栗はそれを肯定と受け取って指での愛撫を更に続けた。

 

「ん……ぁ」
堪えきれない声がこぼれて菊池が何かから逃れるように身をよじる。
尾栗は相変わらず目を閉じたままでいるのをちらりと見てから再びゆっくりと手の中に息づく熱に唇を寄せた。
ひときわ上ずった声がして、きっと菊池も何をされているのかは気づいているのだろう。
それでも拒絶の気配がないことを確かめて、尾栗は丁寧に唇を這わせながら指先での愛撫を続ける。
「や…ぁ……」
熱くまとわりついてくる唇からの快感はどうしていいのか分からないほどに菊池の身体から自由を奪っていった。
意識とは無関係に腰が揺れて、まるで離したくないかのように尾栗の髪に指を差し入れてまさぐってしまう。
さらに唇が動くたびに聞こえてくる淫らな音が菊池の羞恥と欲望を煽り立てていった。

「こ…へっ、ちょっ……」
もう堪えきれないと訴えたくて、菊池は薄っすらと目を開けて自分の腰の方に視線を落とした。
そこにあったのは尾栗が口で愛撫する姿と欲に濡れている醜悪ともいえるほどの自分の欲望だった。
分かってはいたつもりでも、実際に目にしたあまりにもリアルな光景に思わず目をつぶる。
それでも与えられる快感はこれまでに経験したことがないほどに激しいもので、これ以上我慢するのはとうてい無理なところまで追い詰められていた。

「離せよ、康平……、ほんと、もう……っ」
さすがにこのままではまずいと感じた菊池は甘い痺れに酔いながらも本気で尾栗を突き放そうとし始めた。
尾栗もそれを感じたのだろう。
最後に舐めるようなキスを残して唇を離し、快感を途切れさせないようにと手での愛撫を続けた。
尾栗が離れたことに安堵したのか手の動きが突き上げたのか、菊池は一瞬身体を固くしたかと思うと小さく呻いてその熱を解放した。

 

 

尾栗の肩に縋るようにして快感を受け入れている菊池の背中を熱い掌がそっと撫でていく。
荒い息遣いに上下する肩には唇がなだめるような優しいキスを落としていった。

そのまましばらくすると菊池の息も落ち着いてきたのだが、いつまでたっても一向に動く気配を見せない。
ただ尾栗の肩に顔を埋めるようにしてじっとしているのだ。
「大丈夫?」
少し怪訝に感じた尾栗が小さく囁く。
と、ぽつりと弱い返事が返ってきた。

「なんか……最悪」
「えぇ!?」

思いもよらなかった言葉に尾栗はぎょっとして自分の肩に寄りかかっている菊池に視線を向けた。
が、表情が見えないせいでそれが本気なのか冗談なのか判断ができない。
「なに、だめ? もしかして痛かったりした?」
慌てたように尾栗が聞き返す。
しかも謝罪のつもりなのか、菊池の髪に指を入れて子どもをあやすようにそっと髪を梳いてやりながら。
「ごめん。でも、ほら、口でってのも気持ちいいから、そう思って……」
「お前がしてもらったときは気持ちよかったのか?」
「え……? いや、まあ……よかった、かな?」
「ふぅん」
気のない返事をした菊池が小さくため息をついた。
「雅行?」
どうしていいのか分からない尾栗はそれきり黙ってしまい、それでも髪を梳く手だけは止めずにいる。

「プライドが傷ついた気分だ」

やがてくぐもった声が呟いた。
「はぁ?」
その意味を図りかねた尾栗が間抜けな声を出す。
菊池は相変わらず尾栗の肩に顔を埋めたままで、それでも快感がおさまったせいかその声はかなり冷静だ。
「あんなふうに一方的に……、あんな……」
「やっぱり、嫌だった?」
「俺は女じゃない」
「は?」
「ただ何もしないで一方的に口でいかされて……」
「…………」
ここにいたってやっと菊池の言いたいことが分かったのか、尾栗は髪を梳いていた手を止めてぎゅっとその頭を自分の肩に押し付けた。
「俺は、男だぞ?」
「知ってるよ、そんなこと」
さらにくぐもった菊池の声に尾栗が答える。
が、菊池はその語尾に微かに苦笑の色を聞き取っていた。

 

「わっ!」

それまでじっとしていた菊池がふいに顔を上げたかと思うと尾栗の肩に手をかけてその身体を押し倒してしまった。
ごん、と鈍い音を立ててカーペットに頭をぶつけてしまった尾栗はびっくりしたように目を二、三度瞬かせる。
ほとんど馬乗りの体勢になった菊池は、ぎゅっと目の下の両肩を抑えて尾栗を見下ろしていた。
「雅行?」
「康平は俺たちのこと考えたりしないのか?」
「え?」
「さっきお前、付き合ってるって言ったけどさ。俺たちって付き合ってるのか? だいたい男同士だし……」
「んー、そりゃぁ男女のそういうのとはちょっと違うかもしんないけど……」
「ちゃんと好きだって告白しあって始まったわけじゃないだろ。なんか、なし崩し的っていうか、いつの間にかっていうか」
「でも俺は雅行のこと好きだよ。いつも言ってるじゃん」
「それって、どういう好きなんだよ」
「どういうって……。好きは好きだろ?」
やはりというか、あまり的を得ない返答に菊池はどさりと尾栗の上に覆いかぶさって小さく息をついた。

「お前さ、やっぱり雅行だよな」
「なんだよ、それ」
「ん? 真面目だってこと」
尾栗の手が再び菊池の頭に伸びて髪をいじり始めた。
菊池が頬を乗せた胸の奥から小さく鼓動が響いてくる。
ふと、こんなふうに初めて尾栗の鼓動を聞いたときのことを思い出した。

あのときはいっぱいいっぱいで余計なことを考える余裕などなかった。
それがいつの間にかあれこれと気を回すようになり悶々とするようになってしまった。
余裕が出てきたと言えば聞こえはいいが、どちらかといえば判然としない関係の中にずるずると身を置いてそれに甘んじていると言った方が正解のような気がする。
すべてのことを明確にしておきたい菊池にとって、それはなかなか納得できる状態ではなかった。

「好きってだけじゃ理由になんないの?」
髪を絡めて遊んでいた指がゆっくりとうなじのあたりを撫でてくる。
だからその「好き」の意味が問題なんじゃないかと心の奥で呟きながらも、菊池は尾栗の肌越しに響いてくる言葉に耳を寄せていた。

「好きだし楽しいし気持ちいいし。でしょ?」
「……まあ、そうだけど」
「女とだったらそういうのはっきりさせた方がいいのかもしんないけど、俺たちはこれでいいと思うんだけどなぁ」
「そうか……?」
「だって、例えばさ。男と女だったらエッチした途端「別れる」って選択肢ができちゃうけど、俺らにそういうのあると思う?」
「別れる?」
「そ。男女だったら行き着くところ結婚か別れるかしかないじゃん。まあ、友達に戻るってケースもあるかもしんないけど、俺は男女の間で友情って難しいって思ってるから」
「……ああ」
「でも雅行とはさ、俺とか雅行がどうなってもこのままでいられそうな気がするわけ」
「彼女ができたりしても?」
「そう」
「彼女がいてもこんなことできるのか?」
「んー……、今は分かんないけどさ。もしかしたらこんなのはなくなっちゃうかもしんないけど、でも付き合いがなくなるってことはないだろ? それともどっちかに女ができたら別れるのか?」

別れる、という言葉がこれまでにないほどに重く菊池の胸に響いてきた。
同時に気持ちが条件反射のように「嫌だ」と叫ぶ。

「そんなの、本当にできると思うか?」

そんな関係が可能なのか。
恋人とも友達ともいえない曖昧な状態をそんな長く続けられるものなのか。

「できるんじゃねぇの?」

しかしそんな不安をまったく無視するように尾栗の声はあっけらかんとしている。
こいつは俺の言いたいことが本当に分かっているのかと思ってしまうほどそれは単純な響きを持っていた。

もう苦笑するしかない。

「お前はやっぱり康平、だな」
「どういう意味?」
「そういう意味」
「いいの、悪いの?」
「…………両方」

そうして菊池は一つ息をつくと尾栗から離れてテーブルの方に視線を向けた。
「ケーキ、食うか」
「はぁ?」
「だってそのために買ってきたんだろ?」
「今かよ。……俺、まだ、なんですけど?」
「あ…………」
一瞬、菊池は尾栗の下半身をちらりとみやって唖然とする。
「本気で忘れてた?」
「……ごめん、忘れてた」
うわー、と力のない悲鳴を上げながら尾栗は頭をのけぞらせて天井を見上げる。
「雅行って、たまにそういうところ、あるよな」
目を閉じて、少し呆れたようにため息をついた。
と、いきなり唇を合わせられて息が詰まる。

「ん……っ!?」
驚いて目を開けると焦点が合わないほど近くに菊池の顔があった。
そのまま舌を絡める深いキスを交わす。

「いきたい?」
やっと唇を離した菊池はぼんやりと視線を向けてくる尾栗に首を傾げる。
尾栗のなんとなく呆気に取られているような顔がおかしかった。
が、それも当然かもしれない。
こんなふうに菊池からキスをすることも滅多になかったのだから。

しかし尾栗もすぐにいつもの尾栗らしくなった。
菊池のうなじに手を回してぐいと引き寄せ「当然」とその耳元に囁く。

「いいよ。さっきの借りがあるから」
「なにが?」
「俺も男だってこと」
「それって……んっ」

プライドが傷ついたとかってことか、と聞こうとした尾栗の唇はすぐに塞がれてしまった。

 

今は曖昧な関係としか言えないのなら、せめて対等の立場でいたいという対抗意識なのか。
さっき、一瞬見せた尾栗の呆気に取られた表情にそそられたのか。
それとも常にリードされてきたことへの羞恥なのか。

とにかく一年目にして尾栗の取った行動は菊池の何かを変えるには充分なものだったらしい。

いつもより執拗なキスを繰り返しながら菊池の指がそこを捉えた途端、半分重ねていた身体の下で尾栗の喉が小さく呻いた。

 

(5.4.2006)
 

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