うつつの ぬくもり
 

 

「洋介の分も布団敷いとけよ?」
コーヒーを淹れながら振り返ることなく菊池は隣の部屋で布団を敷き始めた尾栗に声をかけた。
「雅行どこで寝る?」
「壁の側」
「えー、俺もそっちがいい。テレビの方じゃ駄目?」
「壁の方がいい」

しかし菊池がコーヒーの入ったカップを二つ持って部屋に入っていくと既に布団は敷き終わっていて、尾栗がちゃっかり壁に一番近い場所に陣取っていた。
その布団の枕元にカップを置くと、菊池は胡坐をかく尾栗をじろりと睨む。
「はやいもん勝ち〜」
へへ……と笑う尾栗に眉をしかめてから、仕方なさそうに菊池は3組敷いてあるうちの真ん中の布団の上に腰を下ろした。

2年になって共同で部屋を借りて、いわゆる日曜下宿で過ごす今夜が初めての夜だった。
本当は3人でお祝いと称して騒ごうと尾栗が計画を立てていたのだが、角松が校友会の連中と出かけることになったとのことでその話は延期となってしまった。
残された二人は、じゃあ夕飯はどうするかということになり、結局は尾栗が面倒だと言って近くの定食屋で済ませてきたところだ。

「あー、お前、なに本なんか出すの?」
「今日買ってきたやつだ」
「そうじゃなくて、今読まなくてもいいだろう」
「なんで?」
「なんでって、せっかくこうして憩いの場所ができてだな、しかも初めての夜だぞ? こう徹夜して話をするとか騒ぐとか、普段できないことするのが普通だろう」
「そうか?」
「そうだよっ」
菊池は素直に本を閉じるとそれを枕元に置いて、
「じゃあ、何を話す?」
と正面きって尾栗に訪ねてきた。
「そりゃあ、こういうときに出る話題っていったら決まってるじゃん」
尾栗はいかにも楽しそうにニマっと笑うと僅かに身を乗り出した。
その表情に何か嫌な感じを受けた菊池は無意識のうちに上体を僅かに逸らす。
「徹夜してもいいようにツマミだって買ってきたんだからな。あ、開ける?」
菊池の返事を待つまでもなく、尾栗はキッチンの方へ行ってコンビニの袋を持ってきた。
それは夕飯の帰り道に買ったものだ。
調子に乗った尾栗がついでにチューハイの缶をカゴに入れようとたものの、それは菊池に発見されて叶わなかったのだが。

「なんか修学旅行みたいでいいよなぁ」
満面の笑みを浮かべる尾栗を見ていると、つい菊池までつられて口元が綻ぶ。
「でさ、雅行。お前、今好きな女いる?」
「…………」

 ―― やっぱりな。
尾栗のことだからきっとこのての話題だろうとなんとなく予想はしていた。
菊池はわざとらしく溜息を吐くと、「いない」と素っ気なく返事をしてやる。
「いないの? 高校のとき好きだった子とか引きずってないの?」
「そっちはどうなんだよ」
「あ、聞き返してくるってことは当たりだろ」
「今はいない」
確かにこの一年を一緒に過ごしてきて、菊池に付き合っている相手がいるフシは全く見られなかった。
角松と尾栗は優等生・菊池の恋話に興味津々だ。
だが、いくらそういった話題をふっても、当の本人はしらをきるばかりで一向に話には乗ってこなかった。
「今は、ってことは前はいたんだろ? どんな感じ? 付き合ってたの?」
「だからなんでいつも俺にばかり聞くんだ」
「あ、じゃあ俺のこと話したらお前も話す?」
「なんでそんなに知りたいんだよ」
「えー、そりゃあ気になるよ。洋介だってすげぇ知りたがってたぞ」
「お前ら……」
すっかり遊ばれているような気分になった菊池は側にあった冷めかけたコーヒーを一気に流し込むと「カップ、かたしておけ」と言ってさっさと布団を頭から被ってしまった。
「はぁ? おい、雅行」
布団を無理矢理はがそうとするものの、意外にも菊池の抵抗は激しくなかなか顔を見せてはくれない。
「なんで、まだ寝るの早いって。なあ、雅行ぃ」
「うるさいっ。近所迷惑だ」

菊池の妙な頑固さを既に知っている尾栗は、これ以上しつこくするとさすがにやばいだろうと考えて別の作戦を持ち出すことにした。
ゆさゆさと菊池の布団を揺すっていた手を離すと、「じゃあさ……」と少々しおらしい声を出してみる。
「じゃあさ、一つだけ教えて。そしたらもうこの話は出さないから」
急に態度の変わった尾栗に、菊池は布団から半分ほど顔を覗かせた。
な? と駄目押ししてくる尾栗を警戒しながら、
「教えるとは約束できない」
とくぐもった声を出す。
「ほんと、一つだけ。教えてくれたら飯のとき絶対に肘つかないから。寄せ箸ももうしない。ほんとっ!」
なにやら子どもじみた尾栗の言葉に菊池は呆れ半分、可笑しさ半分でゆっくりと起き上がった。
そうして溜息をついて「で?」と問いかけると途端に尾栗の顔がぱっと輝く。

「あのさぁ、雅行ってさ……、経験あんの?」

***************

 

今夜は徹夜だと勢いつけてツマミを広げていた尾栗だったが、この一年で身についた習慣のためか午前0時30分を回った頃には眠気に襲われ、喋らなくなったなと思ったらもう既に寝入っていた。
それは菊池も同じことで、手早く散らかされたツマミやお茶の缶を片付けると部屋の電気を消して布団に入った。
もともとは一人でいることが好きな菊池だから、ここに来る前だったら友人と共同で部屋を借りるなど考えもしなかったことだろう。
それが今では好むと好まざるとに関わらずすっかり集団生活にも馴染み、角松や尾栗といることが楽しいとさえ感じている。
今夜のことも、尾栗の言ったように「修学旅行みたい」で確かに心踊るものがあった。

これからはこんな時間も過ごせるのだと思うと心が軽くなるような気がする。
そんなことを考えているうちに、菊池の意識もすっと眠りの中に落ちていった。

 

僅かに浮かび上がった意識の中で、なんとなく身体が不満を感じていた。
うとうとしながら寝返りを打とうとしているのに、身体がうまく動かない。
それでも無理矢理に身体を反転させて膝を曲げようとすると何かに当たる。
次第にはっきりしてくる意識が菊池の瞼を上げさせた。
暗い視界の中、目の前にぼんやりと尾栗の顔がある。
「え……?」
一瞬思考が混乱したものの、どうせ尾栗のことだから寝ぼけて人の布団にもぐり込んできたのだろうと思った。
思ってもみなかった事態に目が覚めた菊池は、半身を起こして尾栗の身体の下に両腕を入れると一気にゴロリと二度ほど転がして元の布団の上に戻してやった。
時計を見ればまだ午前2時すぎ。
一旦起きてしまったものの、改めて横になるとすぐに眠気に捕らわれた。

そうして次にぼんやりと目が覚めたとき、今は何時だろうと思ったものの時計に視線を送ることさえ面倒で、しかも身体にはあらぬ重さがかかっているように感じた。
それは人の腕が自分を抱き込んでいるせいだと気づくまでに少しの時間がかかる。
 ―― こいつ、またか……。
鈍い意識の中で尾栗を布団から追い出そうと思うものの、腕を動かすことさえ億劫に感じる。
僅かに身体をずらそうとすると、まるで意識があるように尾栗の腕にぎゅっと力が入った。
そんな反応に思わず息を詰めて身体を緊張させてしまう。
それでもしばらくして身体の力を抜くとTシャツ越しに温かい体温を感じて、それが妙に菊池の心を安心させた。
こんなふうに他人の体温を感じることなど初めてだ。
もちろん小さい頃は母親に抱かれていたのだろうが、十数年も経つとその温もりを思い出すことはもうできない。
ふいに尾栗の言葉が浮かんできた。

『経験あんの?』

尾栗は、あると言っていた。
この腕が女を抱いたのかと、ぼんやりと眼前の腕を見つめる。

 ―― 素肌で抱き合うなんて、どんな感じなんだろう。
    もっと温かいんだろうか。
背中にほんのりと感じる温度に身体が弛緩していく。
目を閉じると、そのまま意識が沈んでいくように感じた。

 ―― すごく、気持ちいいな……。

 

 

腕の中で何かが動いたことが尾栗の意識を少しばかり覚醒させた。
その何かの温かさがひどく懐かしくて恋しいものに感じて、離れていきそうになるのを無意識のうちにぎゅっと抱き止める。
それが菊池なのだと気がつくまでそれほど時間はかからなかった。
なんでこんなことになっているのだろうと視線を巡らせて周囲を見る。
自分が菊池の布団にいるのだということはなんとなく分かったが、どういう経緯なのかは分からない。
でも今はそんなことよりも腕の中にいる菊池に意識が行ってしまった。
少しだけ首を持ち上げて向こうを向いている菊池の顔を覗き込んでみる。
眠り込んでいるらしい顔は、眼鏡がないせいもあるだろうが普段よりずっとあどけなく見える。
説教しているときと違って眉間に皺がない分、眉は綺麗な形を見せていた。
長い睫にすっと通った鼻筋、軽く開かれた唇。

 ―― こいつ、まじでいい顔だよな。

こんなにいい男だったら高校時代だってかなりモテただろうに。
まあ、人間相手になるとちょっと不器用だもんなあ。

経験があるのかと聞いたとき、かなり不貞腐れた顔でやっと一言
「……ない」
と言っていた。
付き合ったことはあるが身体の関係はなかったと。
それを聞いたとき更に尾栗の興味は湧きあがり、自分の話を餌になんとか宥めたりすかしたりしながら「キスだけなら」という言葉を引き出した。
正直言って驚きではあった。
確かにモテるだろうが、普段の優等生・菊池からは女とどうこうしている姿など想像し難いのだ。

この唇はどんなキスをしたのだろうと見つめてしまう。
それはもう興味本位でしかないのだが、それでも腕の中の体温と相まって胸の奥が少し熱くなってくるようだった。
尾栗にしてもこうして人の体温を感じるのは久しぶりだった。
たとえそれが同期の男のものだったとしても、やはり温かいことに変わりはない。
回した腕に僅かに力を込めてみる。

身体の関係を知らない身体。
それが菊池には似合っているように思えた。
汚れがないなんて言うつもりはないが、それでもなんとなく、そう感じた。

***************

 

角松が先輩に解放されたのは午前4時を回った頃だった。
ふらふらとした足取りでようやく部屋まで辿り着いて作ったばかりの鍵でドアを開ける。
もしかしたら尾栗が徹夜ではしゃいでいるのではと思ったが、部屋の電気は消えているから二人とも既に寝ているのだろう。
できるだけ静かにドアを閉めて部屋に上がる。
そっと足を運んで居間の方を覗くと部屋の大部分を占める布団が目に入ってきた。
「…………あ?」
すぐ前の布団が空っぽらしく、自分の布団はこれかと思った瞬間、その隣の布団で眠り込んでいる尾栗と菊池の頭が見えた。
顔の向きからするに、尾栗が菊池を背中から抱いている格好らしい。

 ―― こいつら……、服は着てるんだろうな?

いきなり突飛な考えが浮かんだことに角松自身が驚いたが、大の男が普通は一緒の布団でこんなにくっついて寝ないだろうと、ふいに過ぎった不安を確かめようと静かに近づいて掛け布団を少し捲ってみた。
二人ともきちんとTシャツを着ている。
それが確認できたと同時に、そんなわけないだろうという自嘲と、万が一の事態に遭遇したのではないことにホっとした。

その瞬間から、どうやってこいつらをからかってやろうかという算段が始まる。
事情は分からないが、こんな状況を角松に見られていたとなれば二人ともかなり慌てるだろう。
このまま朝まで起きていて、そんな姿を見るのも面白そうだ。
それとも知らないふりをしておいて、何かの拍子につついてみるのもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、さすがに疲れていた角松は自分もパジャマ代わりのTシャツに着替えるとさっさと空いている布団にもぐり込んだ。

菊池が完璧に覚醒して現状を把握するまであと数時間。

 

初めて過ごす日曜下宿に3人が揃ったのは、もうすぐ空が白み始めてくる静かな時間だった。

 

(5.18.2005)
 

home back  

 

 



栗菊4作目です。
えー、いよいよ本題に入っていきます(笑)。
全ては私の都合のいいように進んでいきますので、やっぱり日曜下宿は3人で借りてもらいました。
栗は寝てる間にけっこう布団を剥いだりしちゃってると思います。
菊は布団の中で丸まってて、松は腕とか足だけ豪快に出してるの。
菊の性的過去に関しては、どうかなあと考えましたが、当時の高校生の経験率は11%ということから「なし」の方向で。
実は「あり」だったら私もビックリ(笑)。
栗は「あり」、松は……どうでしょうねぇ? 難しいなあ。
卒業間際とか、卒業後から入学までの間に何かあったかも(笑)。
ただし、菊に何もないと栗の心に火がつかないかと思ってキスだけは経験済みということにしてみました。
……といっても、女の子から不意を突かれてされちゃった、みたいな感じかも。

二人がいちゃいちゃしてるのは書いてても楽しいです。