枕を抱くようにしてうつ伏せになっていた菊池は、そっと視線だけを移して角松の方を見やった。
既にまどろみはじめているのか、穏やかな息遣いに目は気持ちよさそうに閉じられている。
しばらくその様子を眺めてから、菊池は静かにベッドを降りて浴室へと向かった。
できることなら、快感の余韻に漂ったまま隣で眠りにつきたい。
しかし身体の中に残された角松の残滓をなんとかしなければ、それも無理な話だった。
熱めのシャワーを頭からかぶって、菊池はしばらくじっと佇む。
じわりと浮かんでくる葛藤をなんとか抑え込んで、ゆっくりと指を自分の後ろに持っていき目を閉じた。
「……っ」
その感覚に息を詰めると同時に湧いてくるどうしようもない惨めな気持ち。
こんなことをしたくないならコンドームを使えば済むことだ。
なのに、いつもそれを拒否するのは菊池の方だった。
角松に抱かれていると情けないほどに自分を抑えられなくなる。
望めば望むだけ与えられる快感に溺れて、いっそ滅茶苦茶にされてもいいと思ってしまう。
彼自身に直接触れたいと思うのは女々しいのだろうか。
本来なら相容れないもの同士の結びつきの中で、だからこそ少しでも側に彼の存在を感じていたいと思うのは既に切実な願いのようになっていた。
「ん……っ」
いまだに残る甘い感覚に声が漏れる。
さっきまで角松が占めていた場所は、菊池にとっての悦びだった。
今、惨めで後ろめたく感じるのは、その場所を自分の指で汚してしまうことと、そうしなければならないようなことを求めてしまう衝動を抑えられなかったからだ。
快感に流されて我を失ってしまう自分は、角松の目にはどう映っているのだろう。
周囲の自分に対する評価はだいたい掴んでいるつもりだ。
それなのに……。
角松に縋りつくように求めてしまう自分は、ひどく滑稽なのかもしれない。
それが分かっているのに、きっとこれからも同じことを繰り返してしまうに違いない。
それでも、そんな自分を受け入れてくれる相手がいることに菊池は満足感を覚えているのだった。
* * * * * *
菊池がベッドを抜け出す気配に気がついて、意識が少し覚醒した角松はゆっくりと身体を起こしてベッドサイドのペットボトルに手を伸ばした。
こんなふうに一人で浴室に向かう菊池に少しの苛立ちと寂寥感を感じてしまう。
前に一度、後を追って浴室に顔を出したことがあった。
しかし菊池は困ったような表情をして「見られたくない」と呟き角松を追い出してしまったのだ。
嫌がるものを無理強いはしたくないものの、最後の最後に自分が関われないのは面白くない。
ごくりと水を飲んで、角松はベッドを後にした。
シャワーの音が続く浴室のドアを開けると菊池が驚いたように振り返った。
既にすべきことは終えてしまったのか、ただじっと降り注ぐシャワーの下に佇んでいたらしい。
「代わるか?」
角松もシャワーを浴びにきたのだと思ったらしい菊池が浴室から出ようとするのを抱きこんで引き止める。
こうして後ろから抱きしめると、ちょうど角松の唇が菊池の耳のあたりに当たる身長差だった。
だからいつも最初に耳朶に口付ける。
それが行為の始まりの合図のように。
まだ身体にだるさの残っている菊池は抵抗することもなくそれを受け入れていた。
耳に流れ込んでくる淫らな唇の音に身体が緩んでいく。
喉をのけぞらせるように角松の肩に頭を預けると、抱きしめていた腕が解けて胸の先を弄り始めた。
「んっ」
捏ねるように摘まむと喉を鳴らして甘い声が漏れてくる。
さっきまで快楽に溺れていた身体は、ほんの少しの刺激にも反応をしてしまうらしい。
「今度からは俺がやってやるよ」
「何を……」
耳への愛撫を続けながら視線を目の前の鏡に向ける。
そこにいるのは、うっとりとした表情のままに身体を自分に預けている菊池の姿だ。
切なげに閉じられた目と声を抑えるかのように唇を噛む口元。
行き場を求めた腕は、自分の身体をまさぐる角松の腕を求めるように掴んでいた。
「ここ、俺が洗ってやる」
ふいに後ろに指を差し込まれた身体が緊張する。
しかし菊池のそこはなんなく指を呑み込んで、熱い襞がうごめくようにまとわりついてきた。
「もう残ってないのか?」
わざと大げさに動かすと一際高い音で喉を鳴らした。
その場所に関しては本人以上に知っている。
気持ちいいところ、焦れったいところ、声を上げずにはいられないところ。
指を動かしてやるだけで思い通りに乱れていく姿を見るのは角松にとっての至福だった。
このときだけは菊池の全てを手にしているのだと感じられる。
「よう、すけ……っ」
既に波に呑まれ始めている菊池は角松の手を取って、堅く勃ちあがっている自分のそこに導こうとしている。
請われるままに触れてやると満足そうな表情で快感に身体を振るわせた。
同時に肩に浮かんできた小さな玉の汗を吸い取るように唇を当てると、それさえももどかしく感じるのか腰をぴたりと摺り寄せてきて更に角松の指を捉えようとする。
「足りないか?」
くいと指を曲げると悲鳴に近い声を上げて何度も頷く。
「入れろよ、……早く」
切羽詰まったような声に角松は薄く笑みを浮かべて耳朶を強めに噛んだ。
「手、前につけよ。このままじゃ倒れそうだ」
菊池の腕を取って眼前のタイル壁に両手をつかせる。
そうして小さく息を吐いてから、腰をつかんで引き寄せた。
身体が緊張するのは最初だけだ。
幾度か腰を揺らしただけで菊池は甘く激しく喘ぎはじめる。
純粋に快感を追っている姿に満足して、それでも更に乱れさせたい角松は前の欲望に手を伸ばした。
お互いに容赦のない行為はすぐに身体を限界にまで押し上げてしまう。
それでもまだ足りないとでもいいたげに菊池の襞はなおも角松を引きずり込もうとしていた。
そうやって求めるままに身体を揺らして淫らな表情を晒す菊池の姿に、角松の全身の血が沸き立つように騒ぎ出した。
熱に浮かされたような瞳で強請られるのも、もっと深くと腰を押し付けられるのも、それらは菊池が角松に全てを預けているからこそだ。
菊池の全てを支配したいという欲が満たされる瞬間。
しかし、そうして最後の解放に向けて動きを早めた角松の目にふいに鏡に映った二人の姿が飛び込んできた。
全身を快楽に委ねている菊池と、そんな菊池に身を沈めている自分。
その光景に、角松は唖然とした。
「洋介……っ」
動きが鈍くなった角松に菊池が不満気な声を漏らす。
先を促されてすぐに再開したものの、そのときにはもう角松は気づいていた。
自分の行為の全ては、菊池のためのものなのだと。
乱れた痴態や甘美な声を聞きたくて必死になっているのは角松の方だ。
自分の前でそんな姿を晒してほしくて、求められるままに愛撫を施し腰を使う。
「も…駄目だ……」
苦痛とも取れる表情に膝が崩れそうになるのを角松が支えて、菊池の一番いいところを突くように何度も欲を叩きつける。
「んぁっ……ようすけっ! もっと……」
解放のためのきっかけを求める菊池の言葉にそれは確信となる。
―― 支配されているのは、俺だ。
菊池の最も乱れる瞬間を見たい。
最も激しく甘い声を聞きたい。
そのために、角松は自分の全てを菊池の身体に投げ出すのだった。