「ホワイトクリスマスって、見たことある?」
「ん……?」
ぽつりと呟くような尾栗の声に沈みかけていた菊池の意識が一瞬浮き上がる。
「関東じゃクリスマスに雪降らねえの?」
「んー……、俺の覚えてる限りはないんじゃないか」
「ふーん」
落ち着きのいい場所を探すように僅かに身を動かして、肩のくぼみあたりに頭を乗せなおした菊池の髪が尾栗の頬をくすぐった。
ゆっくり深呼吸をしながら柔らかい髪を指先に巻きつけて弄ぶと微かなシャンプーの香りが漂ってくる。
どこの店にも置いてある定番のシャンプーだが、その香りは尾栗にとって菊池そのものに感じられるほどに馴染んでいた。
「クリスマスに降る雪って見てみたいよな」
髪から離した指を今度は肩の方に滑らせてその丸みをなぞっていく。
それがくすぐったいのか心地良いのか、菊池は小さく喉を鳴らして身じろぎをした。
しかしよほど眠いらしく、それきり尾栗の言葉には返答せず穏やかな息に胸を上下させている。
尾栗は頬に当たる髪に一度鼻をすり寄せてその存在を確認するように香りを吸い込み、それからカーテンの隙間から零れてくる僅かな街灯の灯りを見つめた。
クリスマスイブの街中は煌びやかでひどく賑やかだったが、このあたりはいつもと変わらず静かな夜だ。
それでも部屋の窓際には申し訳程度に小さな小さな手のひらサイズのツリーが飾られていて、冷蔵庫には二人でも食べきれなかったクリスマスケーキが納められている。
レストランを予約して食事に行くでもなく、高層ビルから夜景を見るでもなく。
想いを通じて身体を合わせている者たちを「恋人」と言うなら今の尾栗と菊池もその範疇に入るのだろうが、どうもそれは自分たちには似合わない言葉だと思う。
菊池はそんな関係にはっきりとした意味や形を求めたがっているようだったけれど、尾栗にとってはそんなことはどうでもよかった。
菊池の瞳に自分が映っていて、自分の瞳も菊池を映し出している。
できることならもっと菊池に楽しそうな顔をしたり声を出して笑ってほしかったりするものの、その性格を考えれば時おりではあるにせよほんのりとした笑みを浮かべてくれるだけでも充分嬉しかったりする。
こうして過ごせる時間があるだけでいいのにと、少し冷えてしまった肩に回した腕にぎゅっと力を込めた。
「一度だけクリスマスの雪を見たことがある」
もう眠っていると思っていた菊池がふいに呟いた。
「ん?」
「子どもの頃、東北の親戚だか知り合いだかの家に遊びに行ったことがあって、そこで」
「クリスマスに雪が降っても子どものことじゃあな。あんまり甘い話はなさそうだな」
「そうでもない」
「え……?」
尾栗は思わず髪にくっつけていた頬を離して、目を閉じたままの菊池の顔を覗き込んだ。
「その家に、多分……高校生くらいの女の子がいた」
「お前は幾つだったの?」
「小学校1年か、もしかしたら幼稚園くらい」
「ふぅん……。で、その子が?」
「クリスマスの朝に一緒に遊んでくれて、小さな雪うさぎを作ってくれたんだ」
「うん」
「俺はそれがすごく気に入って、木の板か何かに乗せて家の中に持っていったんだよ」
「うん」
「親はすぐに溶けてしまうから外に置いておけって言ったのに、俺はどうしても側に置いておきたくて」
「なんかすげぇ可愛いくね?」
「子どものやることだからな」
「で?」
「別の部屋で食事をしてから戻ってみたら、もう半分くらい溶けてたよ」
「……だろうな」
「ああ」
それきり菊池は口を噤んでしまった。
「その子のこと、好きだったのか?」
「……さあ、どうかな」
「よく遊びに行ってたの?」
「いや、何度か行ったかもしれないけど、……彼女の記憶があるのはそのときだけ」
「雅行の初恋、か」
「どうだろうな」
尾栗は小さく息をついて、じっと目を閉じたままの菊池に唇を合わせた。
「おはよ」
頬や首にくすぐったさを覚えて薄っすらと目を開けると尾栗の顔が目一杯に迫っていた。
「おはよう……」
ぼんやりとした意識のまま答えて菊池はまた目を閉じてしまう。
が、そうはさせまいと尾栗は耳を噛んだり舐めたりして邪魔をしてくる。
「ん……、やめろって」
「冷凍庫」
「……ん?」
「起きて冷凍庫見てみろって」
「なんで……」
面倒くさそうに寝返りをうち尾栗に背を向けてしまう菊池に悪戯をしながら、それでも尾栗は「冷凍庫」と耳打ちしてくる。
放っておけばいつまでも続くと思い、それもかえって面倒だと諦めた菊池はしぶしぶと半身を起こしてベッドを降りた。
「冷凍庫?」
「そう、冷凍庫」
頭の後ろで腕を組んで楽しそうに笑っている。
これでアイスでも持ってこいとかいう話だったら怒るぞ、とばかりに眉を顰めてから台所に向かう。
だが流しの側にある小型冷蔵庫の上段のドアを開けて、菊池は思わず「え?」と自分の目を疑ってしまった。
昨夜、尾栗が買い込んだカップアイスやロックアイスの真ん中に、小さなそれが鎮座していた。
「可愛いだろ?」
頃合を見計らった尾栗の声が聞こえてきた。
「なに、これ……?」
視線の先には小さな丸っこい形の氷がある。
昨日アイスをしまったときにはなかったものだ。
しかもそれはなんとなく、うさぎのように見えなくもない。
丸い形に僅かに突き出た2本の耳のようなもの。
ただそれだけの形。
「康平?」
ベッドを抜け出てきた気配を感じて振り返ると、もう尾栗はすぐ後ろにいた。
「けっこう器用だろ、俺って」
へへ、と笑って得意気な顔をしてみせる。
「……うさぎ、か?」
「他に何に見えるんだよ」
「いや……。でもこんなもの、いつ?」
もう一度視線を戻して氷のうさぎを見つめる。
「お前が寝てからコンビニで板氷買ってきた」
「板氷から作ったのか!?」
「ライターの火とか鋏なんかがあればこれくらい作れるだろ」
「そう……か?」
何をどう使ったのかは不明だが、「普通はやらないだろう」という言葉を呑みこんで菊池は氷のうさぎに指を伸ばした。
つん、と冷たい感覚が伝わってくる。
「こら、あんまり触ってると溶けるって」
指を取られて、ついでに背後から回された腕に抱きこまれる。
ついさっきまでベッドに入っていた身体は優しく温かかった。
「ここなら家の中に置いといても溶けないだろ?」
首筋に鼻を擦りつけてやると、菊池はくすりと小さな笑みを零した。
「真夏でも平気そうだな」
少し喉を仰け反らせて尾栗の肩に頭を預ける。
柔らかい肌に尾栗の唇が触れるのと菊池が冷凍庫のドアを閉じたのはほとんど同時だった。
(12.06.2005)
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