「クラブR へようこそ」

黒づくめの、帽子を目深に被った男が目の前に立っていた。
肌を撫でる柔らかい声に、貼り付けたようなにこりとした笑みを浮かべて御堂を見つめてくる。
なんとなく嫌なものを感じて御堂は思わず一歩足を引いて後退してしまった。
穏やかで丁寧な態度だが、何か妙な違和感を感じさせるものがある。
御堂が仕事でこれまでに渡り合ってきた人間とは全く異なる種類、自分の生きてきた世界にはいなかった人間だ。

「君は……」

乾いた喉を無理やり開いて問いただす。
「自己紹介が遅れて申し訳ありません」
男は一歩近づいて軽く頭を下げた。
「Mr. R、とでもお呼びください。御堂孝典さん」
「……っ」
見ず知らずの人間に自分の名前を呼ばれ胸の奥で警鐘が鳴った。
本能がさらに御堂を後退させようとしたが、ふいに背中に柔らかいものが触れて振り返る。
そこにあったのは深紅の重たげなカーテンだった。
改めて周囲を見回せば全てが深紅に覆われている。
出入り口らしきものも見当たらず、そもそも自分がどうやってここに来たのかも分からない。

気がつけば、ここに立っていたのだ。

遠くから音楽が聞こえてくる。
不思議な旋律をした、いつまでも耳を傾けていたくなるような音色のそれは砂が水を吸い込むように御堂の身体の中に沁み込んでいく。
そして記憶の底を掻き立てて何か忘れていたことを思い出させてくれそうな微かな香り。
確かに知っているはずの香りなのに、御堂にはそれが何なのか思い出すことはできない。

「一体、私は……」

答えを求めてMr.Rと名乗る男に視線を送る。
こんな男に助けなど求めるのは少々癪だったが、今の状況はそんなことを言っている場合ではないことぐらい御堂は充分承知していた。

「御堂さん」
すっと男の手が伸ばされ手袋に覆われた指先が御堂の唇に触れるか触れないかの位置でぴたりと止まる。
今にも接しそうなそこからぴりぴりとした痺れが流れて背筋を震わせた。
「あなたの望み、叶えてさしあげましょう」
「望み……、私の?」
「そう、あなたの望みです」
そう言ってにこりと笑った男は一歩引いて、まるで淑女をエスコートするかのように御堂の手を取りその先へと促した。
いつの間にか深紅のカーテンに隙間ができている。
「さあ、いってらっしゃい」
軽く背中を押され、御堂は躊躇いつつもそこに向かって歩を進めた。

 ―― 私の、望み?

その言葉を胸の内に、暗い隙間にゆっくりと近づく。
ほんの数歩の距離の間、御堂は同じ問いを何度も繰り返す。

 ―― 私の望みは、なんだ?

やがて隙間にたどりつき、重いカーテンの端に手をかけ一歩を踏み入れた。

「……っ」
途端に襲ってくる激しい眩暈。
ズキリと痛んだ眉間を押さえ、ふらつく身体を支えられる何かを求めて手を伸ばす。
ちょうど指先に柔らかいものが触れ咄嗟にそれにしがみついた。
そうしてしばらくの間、眩暈がおさまるまでゆっくりと息をつき目を閉じておく。

「大丈夫か」

それは不意の言葉だった。
しかも耳の側で囁かれる声音と湿った感触は御堂がよく知っているものだ。
驚いて目を見開けば、目の前にいるのは克哉だった。
唖然として言葉も出ない御堂を喉の奥で笑っている。
「な、ぜ……ここに?」
視線を落とせば御堂がつかまっていたのは克哉の腕だ。
眩暈がおさまるまでの間、克哉は軽く背中を抱いていてくれたのだろうか、その手がすっと下がって腰を抱き寄せられる。
「あんたが望んだんだろう?」
「私が、……何を?」
「なんだ、忘れたのか?」
克哉は少し呆れたように小さな溜息をつく。
「思い出せ。そうしたら……」
さらに強く抱き寄せられ、耳に甘い吐息が流れ込んでくる。
「望みを叶えさせてやるぞ?」
低く囁かれる言葉に御堂の身体がぞくりと震えた。
「私の望み……」
「そうだ、思い出せ。あんたは何をしていた?」
腰を抱き寄せていた手が僅かに下がり御堂の尻を撫で回す。
「ほら……」
耳朶を軽く噛まれて思わず首を竦めてしまう。

「私は……、わた、し…は……」
耳を嬲られる感触に目を閉じる。

 ―― 私は……ベッドにいた、佐伯と。

薄っすらとした靄の向こうに思い出される光景。
断片が掴めればあとは簡単だった。
週末、自分のマンションで幾度も克哉に貫かれ溺れるほどの快楽に酔っていた。
やがて静けさを取り戻した寝室で、煙草に手を伸ばした彼を見てふと思ったのだ。

 ―― こいつが乱れることなどあるのだろうか。

行為の最中に表情を歪めたり呻き声が漏れたり、そうして最後には射精にいたるのだから当然快感は感じているのだろう。
それでも、常にどこかに余裕を残して御堂を見つめているのだ。
どうにも自分が快感を得るより相手がどんな反応を示して乱れていくのか、その過程をこそ克哉は楽しんでいる節がある。

見てみたい。

突然、そんな欲求が御堂の奥に湧き上がった。
克哉はどんなふうに乱れていくのだろう。
この手で、堕としたい。
いつも自分が感じている、どうしようもできないほどの快楽の底に克哉を溺れさせてみたい。

そこで御堂の記憶は途切れていた。

 

「思い出したか?」
「ああ……」
記憶の残滓にぼんやりとしている御堂を見て克哉は唇の端を歪めて小さく笑う。
「俺を、抱いてみるか?」
ゆっくりと視線が合い、御堂の喉がこくりと上下した。
密着していた身体を少し離して、御堂は不敵なほどに自信を漂わせる克哉の瞳を覗き込む。
「お前がそう言うのなら、ここは遠慮なくいただこうか」
その言葉と同時に御堂は克哉の後頭部に手を添えて、薄く笑みの浮かぶ唇を塞いでやった。

何度も軽く触れ合わせながら舌先で輪郭をなぞっていく。
表皮の薄いそこは濡れれば濡れるほど敏感さを増していくはずだ。
少しだけ舌を差し入れてみたが克哉は自ら行動を起こそうとはしてこない。
いつもならすぐに舌を絡ませてくるくせに、そうしないのは本当に全てを御堂に任せようとしているのだろうか。
 ―― いや、こいつのことだから……
お手並み拝見と面白がっているのかもしれないと、御堂はさらに深く唇を合わせて熱い粘膜を捉えていった。
空いた方の手でシャツのボタンを外し肩から滑り落させる。
軽く浮き出た喉仏や鎖骨、しなやかに筋肉のついた肩から腕、そして軽く上下している胸へと指を這わせていく。
僅かに汗が浮いているのか、しっとりとした肌は御堂の手に吸い付いてくるようだ。
 ―― まるで猛禽類だ。
気高くしなやかで、なにものにも屈しない孤高な獣。
だからこそ征したい。
自分のこの手で、欲の奈落に堕としてみたい。
そのとき、彼はどんな姿を晒してくれるのだろう。

久しぶりに味わう圧倒的な征服欲に心が震える。

執拗に唇を嬲りながら克哉の身体に手を這わせ、ちょうどいい具合にそこにあったベッドにどちらからともなく倒れこんでいった。

 

 

「お前、男をヤったことあるのか?」
「さぁな。お前こそ、後ろの経験はないんじゃないか?」
互いに問い合い喉の奥で小さく笑う。
克哉の腿のあたりに馬乗りになっていた御堂はわざとゆっくりファスナーを下ろし、半ば勃ち上がりかけていた克哉の欲をその手に捉えた。
下着の上からでもそこが熱を帯び始めているのが分かる。
御堂はそれを弄びながら克哉の上半身に唇を落していった。
臍やわき腹、触れる度に硬く更に赤くなる胸の先端を楽しみながらその反応を確かめる。
ときおり小さく呻く以外、それほど過剰な反応を見せるわけではないものの、触れている肌はさっきよりも熱くなっているし何より御堂の手の中の彼自身が感じている快感のほどを伝えていた。
「声を出したらどうだ? どうせここは普通の場所ではなさそうだしな」
「この程度でか?」
軽く乳首を噛んでやると克哉の身体がほんの僅か跳ねた。
が、案の定、返ってきたのは強気な言葉で、しかしそれが御堂の気持ちを煽り立てるであろうことは当然克哉も承知しているのだろう。
面白そうにクっと笑い、突然御堂の両頬に手を当て引き寄せたかと思うと唇を重ねてきた。
そうしてひとしきり貪った後で唇を触れ合わせたまま囁く。

「感じさせてみろよ、俺を」

挑みかかってくるような獣の瞳に御堂の背筋が震えた。
 ―― こいつ……っ。
一瞬、気圧されてしまったことに気づき、しかしそれを悟られたくなくてもう一度舌を絡め取る。
そのまま克哉のズボンと下着を引きおろし、再度彼に手をかけて扱いてやった。
途端にそれは力を増して勃ち上がる。
その間しばらく、御堂はじっと克哉の表情を覗きこんでいたが目を閉じ微かに睫毛を震わせただけにすぎなかった。
それでも身体の変化を見れば感じ始めているのは明らかで、御堂は克哉を見つめたままもう片方の手を彼の後ろに潜り込ませた。
自分の身体を両足の間に割り込ませる
足を開かれる格好になり少しは抵抗するかと思ったが、克哉はまるで羞恥など知らないかのようにされるがままにその部分を晒していた。
弄び続けられる克哉自身は既に固く張り詰め、その先端からとろりとしたものを滲ませている。
それで指を潤した御堂は遠慮なく克哉の後孔につっとそれを差し入れた。
さすがに快感とは違う違和感に眉間が顰められ、さらに身体が緊張したのか御堂の指が熱い襞にきゅっと締め付けられた。
「佐伯」
耳元で囁く。
「やっぱり、こっちは初めてなんじゃないのか?」
「さぁな」
「素直に言えば優しくしてやるのに」
「ふぅん……。そんな余裕、お前にあるのか?」
「ん?」
「油断してると、すぐにイってしまうぞ。中の…快感も相当強烈、だからな」
次第に強く感じてきているのだろう、言葉が途切れとぎれになり熱い吐息が混じり始める。
それでも克哉は声を出すまいと堪えているのか、ときおり小さく唇を噛んでは睫毛を震わせていた。
そんな様子に「ふん」と鼻で笑い、御堂は中の指をくいと折り曲げて克哉の一番いいところを探り出そうとする。
そうしている間にも自身を嬲る手は緩めない。
すっかり濡れた先端は湿った淫らな音をたてて御堂の指の動きを促していく。
それに煽られて、克哉だけでなく御堂の欲望も既に硬く熱い熱を孕み始めていた。

 

「く…んぁ……っ」
ふいに克哉が小さな声をあげた。
が、それはほんの一瞬で、すぐに唇を引き結び御堂のことを睨みつけてくる。
「感じたか?」
同じ場所をゆるゆると攻めてやると克哉の身体はさらなる緊張に強張り、広げられた両足は逃すまいとでもするかのように御堂の腰を挟み込んできた。
指を呑み込んだ熱い襞も柔らかく蕩け始めている。
「俺が…お前にどうして、やっていたか……、思い、出してみろ……」
「ん?」
薄っすらと目を開けた克哉は笑みを浮かべている。
その瞳はまだまだ正気の光を保っていた。
「こんな……もんじゃ、ない…だろ……っ」
「まだまだ、か?」
「ああ……。全く、足りない」
「我ままだな」
言うと同時に指を引き抜き、ファスナーを下ろして取り出した自分のものを押し込み始めた。
「くっ…、ぁ……っ!」
さすがにこれには苦痛を感じたのだろう、表情を歪ませ腰は逃げるようにベッドの上で上ずる。
しかし御堂はそれを許さず、腰をしっかり捉えるとさらにその奥へと猛る欲望を進めていった。
すんなりとはいかないが多少なりとも解されていた克哉のそこは抵抗を見せながらもゆっくりと御堂を呑み込んでいく。
しかしそれを拒絶するように痛いほど締め付けてくる克哉の姿に、ふと初めて自分がこの男を受け入れたときのことが頭をよぎった。

「大丈夫か?」
やがて全てを収めた御堂は深く吐息をついて克哉の頬に手を当てた。
ぎゅっと目を閉じて額に薄っすらと汗を浮かべている克哉が急に心配になり、その汗をすっと掌で拭ってやる。
しかし二、三度深呼吸をして息を整えた克哉はまるで相手を見下すような色を目元に湛えてふっと小さく笑った。
「なんて顔をしてるんだ」
「……?」
伸びてきた手が御堂の頬を捉え、指先がゆっくりと唇の輪郭をなぞっていく。
「言っただろう、俺を感じさせてみろと」
「……ああ」
「俺が苦痛を強いられているということは、お前のテクニックがなってない証拠だな」
にやりと笑って唇に当てていた指で歯列をなぞる。
「心配してやれば、全く……。本当に素直じゃないな」
「俺は本当のことを言っているまでだが?」
「まったく……」
苦しくないはずはないのに、呻いて罵声を上げて当然の痛みを感じているはずなのに。
それを自分の身体で充分に理解している御堂はもう一度小さく「まったく」と呟きながら静かに唇を重ねていった。

どういうわけか、最初に感じていた征服欲が次第に小さく溶けていくのを感じる。
代わりに胸の奥から湧き上がってくるのはどうしようもないほどの愛しさだった。
「教えてやる」
「ん?」
「俺がいつもどんな思いをさせられているか」
「だから最初からそう言ってるだろう?」
軽く唇を触れさせたままの囁きは互いに熱い吐息を感じさせる。
やがて克哉の身体が落ち着いてきたのを見計らって御堂がゆっくりと動き始めた。
「……っ」
途端に歪む克哉の表情を気にしつつ、それでも勃ち上がり震えている欲を掌で包み込むようにして扱いてやる。
いつも受けている信じがたいほどの快感を伝えたくて、しかし同時に過去のことが頭をよぎりほんの少しの躊躇を御堂に与えてしまう。
「み、どう……」
掠れた声とともに腕をぎゅっと掴まれた。
「余計なこと…考えるなっ」
「……?」
「好きに動けよ。俺が…合わせて、やるから……」
そう言ったと同時に克哉は自分から腰を動かして御堂を誘い込んできた。
「ん……っ」
ふいの強烈な快感に御堂の身体が跳ねる。
「お前、そんなにっ……」
初めてだろうからと気を遣ってやっているのに、そんなことお構いなしで腰を突き上げてくる動きに翻弄されそうになっていた。
「こうする方が、気持ち……いいだろ?」
「馬鹿っ」
「もっと、動けよ。こっちも……よくなって、きてるんだ…っ」
「佐伯……」
それは嘘でも強がりでもないのだろう。
確かに手の中のそれは今にもはじけそうに張り詰めているし、中の襞も御堂を離さないとばかりに絡み付いてくる。
じっと表情を窺ってみれば熱に浮かされ少し潤んだ瞳が自分を見返してきていた。
「佐伯」
もう一度呟いて、まるで誘われているかのように唇を塞いで舌を貪る。
もっともっとぴたりと一つになりたくてぎゅっと抱きしめてみたが、克哉と違って服を着たままの御堂ではそれも叶わない。
だからといって今さら脱ぐ余裕も既になくなっていた。
克哉もそろそろ限界なのだろう。
身体中を震わせて、それでも声を出すまいとしているらしいが抑えきれない息遣いは更に激しさを増してくる。

「み…ど……っ」
これまでに聞いたことのないような、甘く掠れた声音ははっきりと御堂を求めていた。
愛しさと独占欲が募る。
気がつけば御堂は克哉の柔らかい首筋に唇を当てていた。
何度も強く吸い上げてそこに痕跡を刻み込む。
克哉も、そんな御堂を逃したくないかのようにしっかりとその頭を抱き込んできた。

「愛してる。……克哉」

こみ上げてくるものを抑えきれずに呟いたそれへの答えだったのだろうか。
克哉の熱がきゅっと締め付け、同時に弾けた欲望が御堂の手を濡らす。
「くっ…ぁ……っ」
途切れとぎれに耳へと流れ込んでくる克哉の甘い呻きと震える身体に押し上げられ、御堂もまた抑えてきたものを吐き出した。
互いに互いの快感に浸りながらぎゅっと抱きしめ合う。
そうしていつまでも治まらない荒い息遣いの中、御堂はもう一度克哉の快楽に彩られた表情を覗こうとしたのだが、ふいに襲ってきた眩暈にあっと小さく呟いた。
一気に意識が沈んでいくのが分かる。
 ―― まだ、駄目だ……。
必死に抵抗するものの、ほんの一瞬のうちに御堂の意識は暗闇の中に引きずりこまれていった。

 

 

「ん……」
鼻をつく匂いに御堂は薄っすらと目を開けた。
ぼんやりしながらも視線を巡らせてその匂いがなんだったかを思い出そうとする。

 ―― 煙草か。

すぐ隣で半身を起こした克哉が煙草を吸っていた。
ベッドでは吸うなと、何度言ってもこの男は聞き入れようとしない。
頭が朦朧として酷く喉が乾いていた。
何か飲みたいと身体を起こしてみたが、あまりのダルさに思わず溜息が出てしまう。
「どうした?」
「いや……」
なんでもないと言おうとして克哉の方に振り向いた御堂の視線がある一点に釘付けとなった。
耳の少し下、白い肌にくっきりと目立つ深紅の跡。
途端に蘇ってくる記憶に御堂は慌てる。
夢にしては生々しく覚えている感触と首筋の跡。
「なんだ?」
「いや、その……」
不思議そうに見つめてくる克哉に、しかし御堂は何をどう言っていいのか分からずに戸惑うばかりだ。
だがその視線から気づいたのだろう、克哉は呆れたように小さく笑うとぐいと御堂を抱き寄せてその首筋に唇を押し当てた。
抵抗する間もなく強く吸われて離される。
「派手にやってくれたお返しだ」
「お前……っ」
慌ててその場所に手を当ててみるがそんなことをしても無駄なのは充分に分かっている。
既にそこには克哉と同じような跡がくっきりとついているに違いないのだ。
どうしたってワイシャツの襟で隠せるような場所ではない。
明日の出社を憂鬱に感じながらも、御堂はちらりと克哉の顔を見つめてすぐに視線を外した。
「夢……じゃなかったのか?」
「ん?」
「あれは、現実か?」
消え入りそうな声で訊ねてみる。
「さあな」
しかし『何が』ではなく『さあな』と答えた時点でそれは肯定しているのと同じだった。
克哉はそんなこと大して気にしてもいないというふうに煙草をサイドテーブルの灰皿に押し付けて小さく伸びをする。
「あの男の気まぐれだろう?」
「あの男?」
御堂の脳裏に黒づくめの男が浮かんでくる。
「誰だ、あれは。知っているのか? それにあそこは一体……んっ」
しかし次々と思い出される疑問は克哉の唇に塞がれてしまった。
執拗な口付けからは微かに煙草の香りが流れ込んでくる。
以前は嫌悪を感じていたそれも、今では興奮を掻き立てる材料にしかすぎなくなっていた。
「さっきは随分と好きにしてくれたな」
少し顔を離して覗き込んでくる瞳にはいつもの獣を思わせる光が宿っている。
「な、何をっ。だいたいそれはお前が言い出したことだろう」
「ああ、そうだったな」
まるで今思い出したように白々しいことを言いながら口付け寸前まで唇を寄せて笑みを浮かべた。
「あれだけ感じるとは、予想外だったがな」
再び唇を塞がれ御堂は何も言えなくなる。

あんなに堕としたいと熱望していたのに、気がつけば愛しさが募って一緒に堕ちたいと思っていた。
そんな快楽を覚えてしまった身体はもう抑えようもない。
やがて首筋に移った唇と身体中を這い回る手の愛撫に意識が捉われていく。

「愛してる」

囁かれる熱い吐息が肌に触れて背筋を震わせた。
たった一つの言葉に全てが絡め取られてしまう。
「孝典……」
衝動的なのか計算されつくしているのか、克哉の言葉はいつも御堂を翻弄する。
それに応えるように、御堂は克哉に腕をまわし痛いほどにその背中を抱きしめた。

ふいに何か甘酸っぱい香りが漂ってくる。
が、それはほんの一瞬で消え去ってしまった。

なにより、そんなことを気にする余裕も既になくなっていた御堂は、ただひたすらに目の前の身体を抱きしめることしかできなくなっていた。

 

2007/08/27
 


 

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