地下の駐車場に車を入れて溜息をつく。
そのままシートに深く背中をあずけて目を閉じた。
佐伯が正式に会社を興してからおよそ2ヶ月。
御堂は精神的にかなりのダメージを受けていた。
今の自分がどれほど非力なのか、そんなことは充分覚悟していたはずなのに目の前に突きつけられる現実はやはり厳しい。
守られていたのだな、と思う。
MGNというブランド。
部長という肩書き。
MGNほどではないが、L&Bでさえその名前を出せば相手も「ああ」と頷いて好意を示してくれたものだ。
もちろんそんなネームバリューに甘えていたつもりは一切なかった御堂だが、それでもやはり世間は個人の能力よりもその所属企業に目を向ける傾向が強かった。
思い返せば、御堂本人もそうだったのだ。
しかたがないこととはいえ、立場が逆転してみて初めてその悔しさが身に沁みて分かってくる。
とくにここ数日は、こうして営業から戻ってくると一気に疲れが出て疲労困憊といった感じだった。
ちらりと腕時計を見ればそろそろ17:00を回ろうとしている。
おそらく佐伯は既に戻っている頃だろう。
御堂は無理に大きな深呼吸をして車を降りエレベーターホールへと重い足を引きずった。
部屋のドアを開けるとそこには既に一組の靴が揃えられていた。
奥からする人の気配とほんのりと漂っているコーヒーの香りが強張った気持ちを一気にほぐしてくれる。
無意識にネクタイの襟元を緩めて、御堂は佐伯の隣に靴を脱いだ。
「お帰り」
先に相手に気づいたのは佐伯だった。
ちょうどキッチンからコーヒーカップを手に出てきたところだ。
「ああ、ただいま」
佐伯に応えてキッチンカウンターの側に鞄を置いた御堂はそのまま自分もコーヒーを飲もうとカップの置いてある棚に目を向けた。
が、それよりも早く佐伯がそのカップを手にしてサーバーからコーヒーを注いで御堂に渡す。
「お疲れ」
「ああ、ありがとう」
気持ちが緩んで思わず笑みが零れた。
さっきまでの暗く沈んだ心が嘘のように軽くなっていく。
「どうだった?」
「勝率2割、ってところだな。そっちは?」
「まあ、同じようなものだ」
そうして二人でソファに腰をかけてテーブルの上のパソコンを覗き込み、訪問した企業ごとに対策を立てて次の予定を組んでいく。
まともに話を聞いてもらえるのは二人のツテを使った相手ばかりというのがまだかなり心もとないが、それでも予定表は少しずつ埋まってきていた。
既に手放した地位をチラつかせることを御堂は嫌がったが現実を考えるとそうも言っていられない。
まだまだ先の見えない社員二人の小さな会社。
それでも不思議と御堂に不安はなかった。
隣にいる傲慢ともいえる自信をその瞳に宿したパートナーがいれば、全てが上手くいってしまうような気がする。
しかしそう思うのは、自分が佐伯にそうとう入れ込んでいるからなのだと御堂は自覚していた。
仕事のパートナーとしても身体を重ねる恋人としても、どうしようもないほどに御堂は佐伯を必要としている。
思わず漏れた苦笑に佐伯が視線を移してきた。
「どうした?」
「いや、……なんでもない」
御堂の自嘲の笑みの理由を理解できない佐伯が眉を顰める。
「なんなんだ?」
「だからなんでもない。ほら、仕事仕事」
ペンの先で画面を示しながら、それでも御堂の笑いは止まらなくなってしまったらしく喉の奥でくつくつと笑ってしまう。
そんな様子に不可解な表情を見せながらも、佐伯はその笑いにつられたように小さな笑みを口元に浮かべていた。
「何か、あったのか?」
「ん?」
仕事に区切りをつけて食事をして、昼間は仕事に使っているローテーブルの上にはまだ片付けきれていない食器とコーヒーが置かれている。
パソコンを一緒に覗いているよりも近い距離でソファに座り、夜のニュースを見ていたときに佐伯がそう問いかけてきた。
「出先で何かあったんじゃないのか?」
「……どしてそう思う?」
「帰ってきたときの様子と、それに今夜のあんたは少し饒舌すぎる」
「そうか?」
ニュースに視線を向けたまま気のない振りをしてみせた御堂だったが、ふいに肩を抱かれて半分無理やりのようにその頬を佐伯の胸に押し付けられてしまった。
突然のことに、いつもだったらとりあえず抗議の声を上げるのだが、今夜は少しでも佐伯に触れていられるのが心地いい。
なんの抵抗もなく静かに胸に収まってしまった御堂の髪をゆっくりといじりながら、佐伯もしばらく寄り添ってくる体温を感じていた。
「お前にも、嫌な思いをさせていたんだろうな」
やがてぽつりと御堂が呟いた。
「なんの話だ?」
「私がMGNにいたときだ。頭から8課など相手にしていなかった」
「そうだったな」
思い出したように佐伯は笑った。
「あんたも相当、傲慢だったな」
しかし髪をいじる指先は相変わらずゆっくりと優しい。
「だが営業先の相手など少なからずみんなそういうものだ。かわし方を覚えればなんてことはない」
「やっぱり強いな……お前は」
「あんたより経験が長いだけだ。今度じっくり教えてやるさ」
「そうだな」
相変わらずの自信を滲ませた声に小さく苦笑して御堂は身体を起こそうとした。
が、それはすぐに阻止されてまた佐伯の胸に戻される。
「もう少しこうしていろ」
「佐伯……」
抱き込んでくる腕がさっきよりも強くなった。
居心地のいいその温もりに御堂は穏やかな表情を浮かべて、自分の身体に回されている腕にそっと手を添えてみる。
ほんの少しその優しさに溺れて、しかし小さな不安がシミを落し始める。
―― 呆れられないだろうか
仕事のことでこんな弱音など他人に吐いたことはない。
まだスタートラインにつたいばかりなのに、こんなグチを晒す自分など情けないにもほどがある。
以前ならこんな姿を他人に見せるなど到底考えられないことだった。
なのに……。
―― お前のせいだ。
自分を包む温もりの主にぎゅっと頬を押し付ける。
ギリギリまで追い詰められ地位も信頼も全て奪われて、そんなことをしておきながら自分の興した会社に来いなどと。
自分勝手にもほどがある。
そして、そんな佐伯に今や心まで渡してしまった自分の馬鹿さ加減にも……。
「佐伯」
「ん?」
髪をいじっていた指がゆっくりとうなじに降りてきた。
耳のすぐ下を幾度となく上下する。
「今だけだ」
「……?」
「今……だけ」
「今だけ、何だ?」
「グチなんかもう言わない、絶対に。明日からは……」
「…………」
「だから」
震えそうな声を抑えるように一つ大きく呼吸をする。
「だから……呆れないでくれ。今だけ、だから」
顔を見せたくない御堂は佐伯の胸に凭れたまま、消え入りそうなほどに小さな声で訴えた。
そうして佐伯の返事を促すようにぎゅっとその腕を掴んでくる。
「あんたは充分強いさ」
御堂の首筋を撫でる指は宥めるように優しかった。
―― 最後まで俺に屈しなかったあんたは充分強い。
そう言ってやりたかったが、嬲った過去を口に乗せることはできなかった。
あの精神力もプライドの高さも、今でも御堂の中に健在だ。
だからこそ、営業先で理不尽な態度を取られることに我慢がならないのだろう。
そして、そんな境遇に追いやったのは他でもない佐伯自身だ。
「大丈夫」
腕の中の温もりを強く抱きしめる。
「あんたの力は俺が知ってる。今に見せつけてやるさ、俺たちの力を」
柔らかい御堂の髪に深く唇を埋めて囁く。
「そうだろう?」
「……そう、だな」
少しの間をおいて返ってきた言葉は幾分力強さを取り戻していた。
呼吸するたびに小さく上下する背中に合わせて佐伯の胸にも湿った熱い吐息がかかる。
しばらくそうしていたことで落ち着いたのだろう。
御堂が再び身体を離そうとみじろぎをした。
しかし佐伯は抱きしめていた腕を緩めることなく、耳朶に舌を忍ばせる。
「抱いてやろうか」
一瞬、動きを止めた御堂からくすりと小さな笑みが漏れてきた。
「ああ、……抱いてくれ」
「なんだ、やけに素直だな」
「今だけだ、さっき言っただろう」
いぜん、佐伯の胸に顔を埋めたままの御堂の顎に指をかけて上向かせる。
言ってはみたものの自分の言葉に照れているのか、あらぬ方に視線を向けているその瞼に唇を落していく。
瞼からゆっくりと額、鼻、そして唇へ移動する頃には御堂の腕も佐伯の背中に回っていた。
「ちょっ……、待て」
半ばシャツを脱がされたところで御堂が佐伯の肩を押し戻した。
「なんだ?」
「テーブル」
「ん?」
「まだ……片付けてない」
御堂を押し倒した体勢のままちらりとテーブルの上を見る。
まだ食べ残しが乗っている皿やカップが置かれたままになっていた。
「朝までこのままにはしておけない」
そうして起き上がろうとする御堂だったが佐伯はどいてやるつもりなど毛頭なかった。
「いいだろう、今日くらい」
「駄目だ、気持ちが悪い」
「じゃあ終わったら俺が片付けておいてやる」
「…………嘘だろう」
じとっと見つめてくる御堂に思わず笑ってしまう。
「ああ、嘘だ」
そう言ってのけた佐伯は、なおももがく御堂を逃がさないようにしっかりと押さえその首筋に再び唇を這わせていった。
2007/09/11
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