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ダンテが爵位を次いで数日後。
新しい主は浮かない顔をしながらも学校に戻り、屋敷にも普段通りの空気が流れ始めていた。
新任の執事も難なく職務をこなし土地の管理も使用人たちの動きも滞ることなく行われている。
しかしその裏で、短い私用時間を利用しては辞したといえども敷地内に起居している前任の執事の元に赴いてあれこれと細かいことを訊ねていたのは誰も知らないことだった。
そうして何事もなく一週間が過ぎた頃。
バージルの後を継ぎダンテの従者を務め始めた者が声をかけてきた。
「ダンテ様が蔵書室にいらしてほしいとのことです」
食器室で帳簿に目を落としていたバージルはすぐに向かう旨を伝えて机の上を手早く片付ける。
そのまま近かったこともあり、一度私室に戻って鏡で身なりを確認したバージルは急いでダンテの元へと足を向けた。
蔵書室の扉を開けると窓際の机の前に数冊の本を手にしたダンテが佇んでいた。
バージルに気づくと「ちょっと手伝ってくれないか」と視線で机の上を示す。 そこには幾冊もの本が山を作っていた。
「一体何を?」
机の側に行ってそこに置かれているタイトルを見て、バージルはそれらが全てダンテが自分の屋敷から持ってきたものか、もしくはここに来てから購入したものだと気がついた。
蔵書室に入れるのは屋敷の者以外は限られた使用人だけだったが、その権利を得る前からバージルは特別にここに入ることを許可されていた。
それは小さな頃から常に本を手元に置いていたバージルへのダンテの特別の計らいだった。
今では膨大な数にのぼる本のうち、どれが屋敷所蔵の本なのかダンテ個人のものなのか一目で判断することができるようになっている。
「とりあえず俺の本を全部抜き出してくれないか」
「はい、……でもどうして? 今の状態で分類は整っているのに」
広い室内に首を巡らせてきっちりと収められている本に視線を沿わせる。
「ああ、そろそろここを出る準備をしないとな」
さらりと言われたその言葉にバージルはダンテを見上げたまま動きを止め、まるで瞬きさえ忘れてしまったかのようにじっと見つめ続けた。
最初の一瞬、ダンテが何を言っているのか理解しがたかったのだがすぐにその意味を覚って僅かに眉を顰める。
しかし考えてみれば当然だった。
この屋敷は既に新しい主を得ている。
今や後見人としても仮の主としてもその役目を終えたダンテがいつまでもここにいる理由はない。
むしろあまりに長い間、自分の屋敷を留守にしすぎているくらいだ。
「出ていくの?」
頭では理解しても感情がついていけずバージルは無意識のうちにそう呟き、けれど直後、言ってしまった自分の言葉に気づいて慌てて視線を伏せた。
物心ついた頃からずっとダンテと一緒にいたバージルにとって、彼と離れることはいずれ来るべき未来であると分かってはいたがそれはどこか漠然としたイメージだけのものだった。
ダンテの従者となって多くの時間を共有していたときはもちろん、例え存在を知られてはいけないと言われていたときも下働きとなって会えない日が続いたときも、それでもバージルの側にダンテがいることは変わりなかったしこれからも当然のようにそんな毎日が続いていくと思い込んでいた。
「バージル?」
黙り込んでしまったバージルの顔を覗き込むように首を傾げたダンテは小さく溜息をついてその顎に指先を添えた。
きっと情けない顔をしているに違いないと思ったバージルはその視線を避けるように僅かに顔を背けたが、意外に強い力で半ば無理やりのように瞳を合わせられてしまう。
「どうした?」
そう問われたところで何か言えるはずもなく、それどころかダンテはとうにバージルの感じていることなどお見通しに違いないのに敢えてそんな言葉を口にするちょっとした意地の悪さに視線を逸らせることで抵抗した。
何を言ったところでこの先のことが変わるわけでもなく、もちろん胸中の不安を表すつもりもないバージルは「どうもしない」と答えて本の整理に取り掛かろうとした。
が、ほんの一歩、ダンテから離れた瞬間。
ふわりと抱き込まれ身動きが取れなくなった。
「……っ」
突然のことに一瞬息を詰めたが、幼い頃から慣れ親しんだダンテの腕の中の心地よさに自然と気持ちが緩んでいく。
既に青年と言ってもいいほどの年齢になって身体が成長しても、不思議とこの場所はバージルを包み込むだけの広さをいまだに感じさせていた。
「お前を連れてここに来たのは間違いだったかもしれないな」
抱きしめてくる腕に力がこもる。
「こんなに早く離れることになるとは思っていなかった。それに、ここに来ていなければ今頃お前は俺の執事になっていたかもしれない」
言葉尻に僅かに混じっているのは自嘲のような笑みで、それが今の言葉を冗談とも本気とも判断しかねるものにしていた。
しかしそんなもしもの話にさえ胸が痛むほどバージルの気持ちはざわついている。
「それとも……」
少し身体を離され見つめてきたダンテの瞳はひどく真剣だった。
「ついてくるか?」
それは短い言葉でありながらバージルを驚かせるのには十分で、目を見開いたまま僅かに動いた唇は何かを言おうとしながらも途中でぴたりと止まってしまう。
けれどダンテの視線は逸らされることなくバージルに向けられていて、まるで答えを求めているかのようにじっと見つめてくるのだった。
「行かない」
ぽつりとそれだけ呟いたバージルは視線を伏せる。
一瞬、昂ぶった気持ちはダンテの言葉にさらわれそうになったがその想いを霧散させたのはもう一人の自分だった。
あの屈託のない笑顔が脳裏を過ぎる。
自分の居場所はもう決まっていた。
それでも口にしてしまった自分の言葉に怯えるようにバージルは小さく唇を噛む。
胸の奥で、大事な何かが一つ終わってしまったような気がした。
ふいに額に柔らかいものを感じてはっと顔を上げるとちょうどダンテの唇が離れていくところだった。
間近に見るその表情はバージルも初めて目にするほどに寂しげで、幼い頃から一緒にいたダンテとは全く別人のように思える。
酷い言い方をしてしまっただろうかと不安が胸を掠めた。
何か言わなければと思うものの言葉は何も浮かばず、どうしていいか分からないままに見つめていると再びダンテの顔が近づいてきてバージルは無意識のうちに目を閉じる。
それが触れてきたのは唇だった。
一瞬驚きに目を見開いたものの、軽く触れてくるだけの唇にはどうにも現実感が伴わない。
ダンテの口付けなど思ってもいなかったバージルは呆然としたまま啄ばむようなそれを受けていた。
「ダンテ?」
幾度か重ねられて離れた唇を見つめながらバージルは問いかけるような口調でその名を呼んだ。
今度はダンテが答える番だと言わんばかりにその瞳を見つめる。
どうしてこんなことをするのかと。
しかしそれに答えることなくダンテは再び唇を合わせてくる。
舌先で唇を小さくなぞられ反射的にぴくりと肩が震えて、その直後ゆっくりと入り込んできた舌先にバージルは弟との深い口付けを思い出した。
途端に腰のあたりがじんと痺れそれが背筋にまで伝わっていく。
探るように、けれど躊躇いのないダンテの舌がバージルのそれを捉えて絡んできた。
驚きながらも口付けという甘い行為の快感を思い出した身体は多少の戸惑いをみせながらもダンテの誘いに応じていく。
「ん……」
お互いにゆっくりと確かめ合うように絡めた舌からは僅かながらも淫らな音が零れ、バージルも鼻から抜けるような甘えた呻きを漏らし始めた。
感触も音もはっきりと感じているのに、これは夢だと言われればそうなのかと納得してしまいそうなほどにその口付けには現実感が伴わない。
そうしているうちにも深くなっていく行為にバージルは目を閉じ、ダンテのジャケットの胸あたりをぎゅっと掴んで蠢く舌を追いかけていた。
「驚いたな」
やがて、ちゅと小さな音を残して唇を離したダンテは苦笑していた。
何を言っているのか分からないバージルは長い口付けのせいか少しぼんやりとした瞳でダンテを見上げる。
「いつの間にこんなキスを覚えたんだ?」
頬に手を当てられ親指の先ですっと唇をなぞられた。
その瞬間、ふわりと浮いていたバージルの感覚が一気に現実に引き戻されその表情を羞恥に染めた。
「女中の誰かといい仲にでもなったか?」
「ちが……んっ」
違うと否定する前に唇を塞がれたがそれはすぐに離れていく。
「それとも俺の知らない間にどこぞの婦人に手ほどきでもされていたのか?」
「そんなことはない」
まともにダンテの顔を見ることができず俯いたまま否定して、バージルは中途半端に抱きしめられていた腕から逃れようとした。
けれどそれは許されず逆にすっぽりと腕の中に閉じ込められてしまう。
「まったく妬けるな」
大きな溜息が耳脇の髪を揺らしそこに唇が触れてくるのを感じた。
無心にダンテの口付けを受けるばかりか、それを自ら求めてしまったことを恥じてバージルは身をよじる。
「本を片付けるんだろう」
言い訳にもならない言葉を口にしてみるがダンテの腕は一向に緩むことはなく、むしろその動きを封じてしまうほどにきつくなっていった。
こうなってしまっては力に差のありすぎるバージルにはどうすることもできない。
それでも逃れようとするのはずっと一緒にいたからこそ湧き上がってくる感情ゆえで、自分の中にある性的なものを見られるのはあまりに恥ずかしく我慢がならなかった。
「他にどんなことを知ってる?」
囁かれる言葉とともに下肢に伸ばされた手がそこを撫で上げる。
「ここは?」
「や……っ」
身体がびくりと跳ね思わず身を引こうとしたが先に腰に回されていた手がそれを許さず、逃げることもできないままにバージルはそこを擦られ上ずった吐息を零した。
既にそこでの快感を知っている身体は不慣れなゆえにあっという間に反応を示しダンテの手の中で次第にその存在を主張し始める。
なんとか離れられないかと腕を突っぱねてみるがそれだけでは互いの間に僅かな隙間ができるだけで到底ダンテの手から逃れることなどできそうにない。
そうこうしているうちにも緩急をつけてまさぐられるバージルの熱は服の上からもはっきりと分かるほどに起立し唇から熱い吐息をつかせ始めた。
「ダンテ……」
人前ではいつも寡黙で冷静な彼がこんなことをするのが俄かには信じられない。
けれど下肢から伝わってくる快感は否定しようもなく、抵抗を見せながらもやがて腰が震えて立っていることも辛くなってきたバージルはその胸に縋りついて崩れそうな身体を支えているのが精一杯になっていた。
嫌だとうわ言のように繰り返しては首を振り、それでも容赦のないダンテの手に追い詰められて腰を揺らしてしまう。
そんな快感に絶えられなくなって足の力が抜けたのか、ふいにがくりと沈んだバージルをすくい上げたダンテはそのまま片手で机の上の本をなぎ払いそこへ震える身体を横たえた。
すぐに起き上がろうとする肩を押さえつけ唇を塞ぐ。
深い口付けの間にもズボンのベルトを外して前を寛げさせれば、すっかりと張りつめて先端を欲に濡らしたものが外気に晒された。
自分の状態を把握しているバージルは羞恥に染まりながらもなんとか足を擦り合わせてそれを隠そうとする。
が、ダンテはその両足の間に身体を割り込ませることですっかりその抵抗を抑え込んでしまった。
「んんっ!」
ゆっくりとそれを握られ親指の腹で溢れ出ている蜜を塗りこめるように擦られて、その直接的な快感がバージルにくぐもった悲鳴を上げさせた。
半ば圧し掛かかっているダンテの下で腰がびくりと跳ね背筋をしならせる。
「ん……っ、ふぁ、あ……だ……っ」
唇を塞がれたままでまともに喘ぐこともできず、バージルは懸命に首を振ってそれを振りほどこうとしていた。
けれどそれとは裏腹に容赦のない愛撫を受けている下肢はさらなる快感を求めるように腰をくねらせ両足でダンテの身体を締め付ける。
「ん、んっ、……ふぅ、あ、やだ……っ」
やっと唇を離されたバージルは咄嗟に顔を背け、唯一自由になる右腕でその顔を蔽い隠した。
こうなってはもう身体を抑えることは無理だと分かっている。
だったらせめて、こんなふうに快感に呑まれている自分を見られることからだけでも逃れたかった。
熱が弾ける直前、乱れる前髪をかき上げられ額に唇が落とされる。
自分を翻弄する指とはまったく反する優しさを帯びたそれにひどく心苦しさを感じながら、バージルは引き攣ったような掠れた悲鳴を上げて限界を迎えた。
「どうして?」
両腕を交差させるような恰好でその表情を隠しながら、快感の抜けきらない熱い息の下でバージルは呟いた。
ダンテは半ば机に腰をかけるようにして力なく横たわったままのバージルの髪を梳いている。
身につけている上質な黒布の腹から胸のあたりにかけて白い残滓が所々に散っていた。
腕で視界を拒否しているバージルは自分の服がそんな状態になっていることには全く気づいていない。
「バージル」
問いかけからしばらくの無言のあと、顔を覆う腕に唇を寄せてからダンテはその腕を取ってゆっくりと左右に開かせた。
ぎゅっと閉じられていたらしい瞳は混乱のせいか快感のせいか、それは涙こそ流してはいなかったが揺れる光を湛えて潤みダンテを見つめている。
薄らと開かれている唇に幾度かの触れる口づけを落としてダンテはバージルの問いに答えた。
「愛してる」
バージルの瞳が僅かに見開かれ、直後眉根が寄せられる。
世の中で最も甘いはずの言葉を告げた本人は酷く辛そうな目をしていた。
その言葉を知ってはいてもそれをどう受け取っていいのか分らないバージルは、躊躇いがちに手を伸ばしてダンテの頬に触れる。
自分でもどうしてそんなことをしたのかは分らない。
けれどそうせずにはいられない何かが胸の奥から湧き上がるようにバージルの全身に広がっていった。
頬に触れた掌に大きな手が重ねられたかと思うと一気に抱きあげられて少し息が詰まる。
そのまま強く抱きしめられ、既に抗う気のないバージルはされるがままにその胸に身体を預けていった。
「一緒に来ないか」
髪の中に囁かれた再度の言葉に僅かに身を震わせる。
そしてダンテにとっては長い沈黙のあと、バージルは弱々しくも首を振ることでそれに答えた。
「そうか」
ふっとした溜息が言葉と共に柔らかい髪を揺らす。
「……やはりここに来るべきじゃなかったな」
さらに力のこもった腕にバージルの腕もゆっくりとその背中に回された。
まだ身体に余韻を残している行為への混乱した思いが、この幼い頃から慣れ親しんだ腕の中で甘い疼きと痛いほどの切なさに変わっていく。
二度とも同じ返事をしてしまったことで別れは確実なものとなっていた。
愛しているという言葉が今さらのように沁みていく。
「バージル」
僅かに身体を離し両頬を捉えられた。
「ついてこないと言うなら」
寄せてくる唇にバージルは目を閉じてそれを待った。
しかし吐息を感じるほどに近づいたところでぴたりと止まり言葉が続く。
「お前が欲しい」
その意味を理解する前に唇が触れた。
一方的に啄むだけの口付けにやがて躊躇いがちながらもバージルが応え始めると、それを待っていたかのようにダンテは舌を差し込んでゆっくりと口内をまさぐっていく。
一気に深くなった行為に小さな呻きが漏れ淫らな音が密やかに響いた。
囁かれた言葉の意味を考える余裕もなく、バージルの身体は貪るまでに激しさを増した口付けに侵食されていく。
やがて離れていく唇を寂しいとでも言いたげに見つめるようになった青い瞳に、ダンテは「おいで」と告げてその背中に手を回した。
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2009/09/25
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