人身が金やそれ相応のものと簡単に取引のされる時代にあって、売買に最も重宝されていたのは貧しさや男女の事情により親に手放された子どもたちだった。
とくに十代の前半までであればそこそこ値も安い上に労働力としても十分通用する。
中には何かしらの夢を見て地方の貧しい村を逃げ出してきたはいいものの、頼る者のない不慣れな街で仲介人に声をかけられ本人も知らぬままに売買の対象となってしまう者たちもいた。

もちろんこれらの取引には人道を踏まえた幾条からもなる細かい法規則が用意されており表向きは職業斡旋という建前を取ってはいる。
が、それは半世紀以上も前の奴隷売買を土台として作られたもので内容としては既にこの時代にはそぐわないものとなり果てていた。
つまるところ法規則などただの紙切れに書かれた文字でしかなく、事実上売られていく者たちの無事を保障するには程遠いものだった。

そんな彼らの行先は場所も用途もさまざまで、買い手によっては幸せとはいかないまでも無事に命を全うできる者もいるしそうでない者もいる。
屋敷の下働きや開拓労働の場に売られるのは非常に運が良く幸せな方で、夜の性的行為の対象とされるのもまだましと言えた。
酷いところになると看護補助やその他雑用として病院や医学舎に買い取られておきながらその実、投薬や手術の実験対象にされたり、最悪、富豪の子息たちの臓器提供者とされるといった噂もある。

さすがにそこまでのことが横行しているわけでもないが、なんの罪もない子どもたちに課せられるにはあまりに非道な行為に一部の貴族や有識者の中には異を唱える者もいないではなかった。
が、例え法律で抑え込んでもそういった行為は地下に潜るだけであり、また地位の高い者ほどその旨みを知っていることから結局はどんな反対法案も潰される結果となり子どもたちの救世主となれる者は現れなかった。
しかしそんな非力な救世主たちにさえ見放されている子どもたちがこの社会には存在していた。

『惨めなる子ども』と呼ばれる彼らの出自は貴族や豪商、富豪の家系で何事もなければ光輝く未来を約束されていた者たちだ。
それが親の犯した罪により家系断絶を下され、幸せな生活から一転人身売買の対象とされてしまうのだ。
とくに貴族や医師、法律家といった社会的地位の高い者たちは世間の模範となるよう義務付けられているだけに、ひとたび罪人のレッテルを貼られてしまえばあとに待っているのは容赦のない裁きのみだった。
それは裏を返せば貧富の差が激しいこの社会において、地位の高い者がどれほど庶民の羨望と嫉妬と憎しみを集めているかの証でもある。
政治が悪いとまではいかなくても貧しさは避けようがなく、底辺での暮らしを強いられる人々の抑圧された感情はほんの些細な問題にも敏感に反応して膨れ上がっていく。
過去にそれが頂点に達したことで起こる暴動を経験した政府は、それ以来裕福な暮らしをしている者、とくに名のある貴族の家系に対しては社会的規範に対する厳しい目を向けるようになっていた。

当時最も重い罪とされていたのは殺人でありそれに対する罰は基本的には極刑となっていたが、事情によっては生涯を獄舎で送ることで留められることもあった。
が、それは一般庶民に対してのものであり、対象が貴族ともなればどのような事情があるにせよ極刑、さらに家系断絶を免れることはできなかった。
そして殺人と同じほどに重罪とされていたのが背信行為である。
他国への提供を目的とした国や政府、王族への諜報活動、また私利私欲のみを優先させるための横領や金品の贈収賄などはことが露見すれば極刑、さらに一族からの貴族証剥奪そして領地財産没収と容赦のない裁きが下された。
ある意味それらは一般庶民に対する「国は常に公正である」との告知であり、彼らの底に渦巻いている不平不満を抑えるための牽制でもあった。

しかし、厳しくも正しい判断に見えるそのような裁きにも裏は存在していた。
古の魔女狩りを模したそれは常に正義を見せつけようとしてきた政府の、誰も手を出すことのできない腐敗した一面であり、また真実でもあった。

 

 

 

 

シティの外れにある国内最大規模を誇る競り市場には常に人が溢れかえっていた。
ここを仕事場としている卸商人や仲介人、バイヤーはもちろんのこと、手数料を省くために個人でやってくる小さな店の主人や暇つぶしの冷やかし客、迷路のような裏通りを遊び場とする子どもたち。
地方や外国からの旅行者たちがあちこちで集団を作っているのはここが観光名所としても名を知られているためだ。
メイン通り沿いには競り場となる大小のテントが立ち並び、その隙間にもぐり込むような格好で旅行客相手の土産物屋が店を構えている。
他にも小さな出店が無数にあり雑多ながらも活気ある空気を作り出していた。
ここでは食糧をはじめとする生活必需品から美術品や嗜好品、ペット用の動物、変わったところでは土地や建物の権利書などといったものまで扱っている。
その中でもとくに注目を集めているのが中央からやや外れた場所にあるテントで毎月隔週金曜に開催される「職探し」と言われる競りだった。
これがいわゆる人身売買の場で、それぞれ20歳未満の子どもとそれ以上の大人とに日を分けて開催されている。
第三金曜の今日は20歳未満の者たちが競りにかけられる日だった。

5メートルほどの舞台を囲む半円のすり鉢状になった閲覧席には朝から多くの業者や個人客が詰めかけて、競売の始まりを告げる鐘の音を今かと待ちかまえている。
落ち着かないざわめきの中、カタログに掲載されている写真に見入る者や連れの従者にメモを渡す者、分厚い資料を捲る者、ただのんびりと煙草をくわえる者。
時間を過ごす様は人それぞれであるも、薄らと笑んだ口元には自分がこれから買うまだ見ぬ相手への共通の優越感を滲ませていた。
やがて甲高い鐘の音が一つ響き競りの開始を告げる。
舞台を残して周囲の灯りが落とされると同時に袖から若い従業員が出てきて型通りの説明を始めた。
すでに何十回と繰り返して暗記されてしまった口上が流暢に流れる中、ダークグレーのスーツをきっちりと着込んだ男が最前列に用意されている特別席に腰をおろした。
手にしたステッキと山高帽、そして左胸に輝く小さな金のバッヂが彼を貴族の家系の者だと表している。
やや小さめの丸眼鏡のせいだろうか、どこか飄々とした空気を纏っているようにも感じるが暗色のレンズのせいでその瞳はほとんど見ることができなかった。
通いなれた者には退屈なだけの前口上が終わり、続けて舞台中央に年配の男が姿を見せる。
と同時にあちこちからパドルを握る気配が伝わり、会場内は先ほどまでとはうってかわった静けさを漂わせ始めた。
競り独特の緊張感の中、しかし最前の貴族の男だけはパドルを椅子の端にひっかけたまま興味など全くないとでも言いたげに椅子の背に深くもたれて目を閉じる。
が、そんな男の態度など誰も気にする者はいない。
既に彼らの視線は舞台に出てきた一人目の少年に注がれていたからだ。

3月の第三金曜日。
年2回しか行われない「惨めなる子ども」たちの競りは定刻通りに始まった。

 

 

(05.28.2008)
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