『興味、ないの?』
『……しかし……』
『怖い?』
『……そういうわけでは……、その、まだ早いんじゃないか……?』
『なにが?』
『俺たちはまだ中学生だし、そんな……』
『じゃあ、高校生になったらいいんだね? 分かった』

手塚にしてみれば、本当はあの時点でそれなりの覚悟はできていたのに。
それまでの乾が多少なりとも強引だったから、いまさら自分が少しの躊躇いを見せたところできっと引き下がることはないのだろうと思っていた。
それが予想に反して「中学生だし」などという理由にもならないような理由に納得して身体を引いてしまったのが、手塚の中にぽっかりと小さな空洞を作ってしまったらしい。

しかし後になって考えてみれば、それも乾の策略だったのかもしれないと思う。
あの日を境に手塚の中により強い欲求が顔を覗かせるようになっていたのだから。

『こうして手でするよりもさ、中からの刺激の方がずっと強烈らしいよ』

そんな乾の言葉が常に脳裏を掠め、それでも手塚が自分から口に出して求めることなどできるはずもなく、二人は優しいだけの愛撫を繰り返してはお互いの性欲を満たしていた。

もちろんそれはそれでやはり気持ち良い行為で、自分のものを吐き出した後の快感が抜けきらない身体を乾の身体に寄り添わせているのは手塚にとって最も居心地の良い場所となっていた。
これが心が満たされているということなのだろうかと思いながら、いつも手塚はうとうとと浅い眠りに引き込まれていく。

もしも乾と身体を繋げることができたとしたら……?

もっと自分は満たされるのだろうか。
それはどんな気持ちなのだろう。
今よりも乾を身近に感じることができるのだろうか。

そうして答えの出せないままに半年が過ぎ、彼らは卒業式を迎え、桜の花びらが舞い降りる季節の中で高校生になった。

 

 

「なっ……っ!」

思いもよらなかった乾の行為に思わず手塚は息を呑んで腰を引いてしまった。

乾の部屋に入っていつものように唇を触れ合わせ、次第に服を脱がされていき身体中に乾の手の温もりを感じていた。
手塚の息が荒くなってくる頃には柔らかい唇が首筋や胸や脇腹を這い、背骨を辿って再び首筋に戻ってくる。
次に唇を合わせるときは二人とも夢中になっていて、それでも先に舌を求めてくるのはいつも乾だった。
同時に乾の長い指が手塚の股間に伸びてその欲望を解放に導いていく。
それに合わせるように手塚の指も乾のそれに触れ、互いに刺激を与えつつ同時に絶頂へとのぼりつめていった。

それが今までの二人だった。

今日もそうして互いに精を吐き出した後、薄らと汗が浮かんだ身体を寄り合わせて緩やかになっていく快感に浸っていくはずだったのに。

急に乾の頭が下がったかと思うと、手塚のそこに顔を近づけてきたのだ。
温かい息が内腿にかかった瞬間、手塚は小さな声にならない声を上げて腰を引いてしまった。
それでも乾はそんなことお構いなしに唇を近づけて、欲望を開放したばかりのその先端に口付けを与えた。
今までになかった感覚に、手塚の奥から電流のような快感が生まれて身体中を走り抜ける。
「いぬ……っ」
咄嗟に手塚の手は乾の髪を掴んだがそれは無意識のうちの行為で、手塚自身は乾の唇を離したいとか考えた上でのものではなかった。

今までに何度も互いに触り合っていた部分だったけれど、さすがに唇が触れているとなると羞恥心が出てしまう。
しかしその羞恥心がさらに快感を煽っているのだということに手塚は気付きもしなかった。
声を抑えることもできず、ましてや次第に感じていく自分の身体をどうすることもできず、手塚はあっという間に快楽の波に呑み込まれていく。
そうしてもう駄目だと思った瞬間、乾の唇が手塚から離れていった。

「あ……っ、い、ぬい……?」
急に快感を取り上げられて、手塚はぎゅっと閉じていた目を開けて戸惑いの言葉を口走る。
思わず上半身を起こして自分の腰のあたりを見つめてしまった。
そこにあったのは上目遣いに見上げてくる乾の瞳で、それはいつになく艶やかで濡れているように見えた。

「ねえ、手塚。俺たち、高校生になったよ」
そうして手塚の見ている前で舌を出し先端を僅かに掠めさせた。
「んっ……」
びくりと腰を震わせて眉根を寄せた手塚を見て乾は嬉しそうに微笑む。
「もう、いいよね?」
「乾……?」
その言わんとしていることの意味を即座に理解して、それでもすぐに返事のできない手塚を見てくすりと笑うと乾は再び手塚自身に唇を寄せた。

再び与えられた快感に手塚は声を出す間もなく絶頂を迎え、その欲望を乾の口の中に放ってしまった。
しばらく快感に漂っていた手塚がそのことに気付いたのは耳朶に乾の口付けを受けたときで、微かに鼻についた精液の臭いに一気に頭に血がのぼったような気がした。
「ごめん。……つっ」
ぽつりと手塚が謝った途端、乾は柔らかい耳朶を強めに噛んできた。
「構わないよ」
それから耳の縁に沿って舌を這わせる。

「いいよね?」

直接耳に響いてくるような低い囁き声に手塚は躊躇うことなく小さく頷いた。
実際のところ、その答はもう半年前に決まっていたのだから。

 

その夜、手塚は乾の家に泊まることになってしまった。
さすがに歩くことができずそのまま乾のベッドで丸くなっていた手塚だが、それでも乾が抱きしめていてくれるのが嬉しくて、身体の痛みを誤魔化すことはできないがそれ以上に心は満たされているように感じる。
これが身体を一つにするということなのかと、乾の温もりに包まれながら手塚はその腕の中で初めての深い眠りに落ちていった。

 

 

それから何度も身体を重ねていくうちに、次第に手塚に変化が起きてきた。

それを慣れてきたと言ってしまえば簡単なのだが、手塚にとってそれは困惑でしかなかった。
与えられる快感が違ってきている。
お互いに手で刺激を与え合っていたときとは比べものにならないような、その部分だけでなくまるで身体の奥深くから湧き上がってくるどうしようもないくらい切なく疼くような感覚。

―― こんなの、知らない……。

戸惑いを感じながら乾をその身に受けて、それでも最後はいつも乾の指が手塚にからみつき快楽の極みへと導いてくれる。
それによってもたらされる快感は手塚にとっては安心できるものだった。

 

 

しかし、それが崩れてしまった。

 

 

「やめろっ!」

ふいに手塚の切羽詰ったような声がして乾は動きを止めてじっと目の前の黒い瞳に見入った。
それは熱に浮かされたように潤んでいて、目尻には僅かに涙さえ滲んでいる。
小さく開かれた唇は何かを訴えるように震えていた。

「手塚?」
乾はその瞳を覗き込むようにそっと顔を近づけて、自分の額を手塚の額にこつんと合わせた。
乾の両腕をつかんでいる掌も震えている。

「……手塚」
もう一度静かにその名を呼ぶと、乾はそっと震える唇に口付けた。
しかし、いつも応えてくれる唇は何の反応も返してこない。
乾は唇を離すともう一度手塚の瞳を覗き込んだ。
既に一筋の涙が零れている。

「怖い?」

その言葉に手塚の目が見開かれ、少しの間乾を見つめたかと思うと視線を伏せて小さく頷いた。

 

 

いつものように緩やかに動く乾の刺激にだんだんと手塚の身体も高みへと押し上げられていく。
ときに乾は手塚の奥の感じる部分を擦り、その度に手塚の身体も跳ね上がる。
そうして乾が限界に近づき始めると、一緒にいこうとばかりに長い指を手塚に絡ませてくるのだった。

しかし今日はいつまでたっても乾が手塚に手を伸ばしてくることはなく、ひたすら緩く腰を揺らしてはその部分を軽く強く突いてくる。
絶え間のない刺激に手塚の唇からは言葉にならない声だけが零れていた。
やがて快楽のうねりが今までにないくらい大きくなり手塚の身体の隅々まで呑みつくそうとしてくる。
身体はとうに理性と切り離された所にあって言うことを聞かない。
その快感の強さを手塚自身に見せつけるように、身体の中心にあるものは開放を願って震えている。

「乾……っ」

その指で触れてほしくて手塚は乾の名を呼び、ぎゅっと彼の背中にしがみついた。
それでもまるで無視をしているように乾は決して手を伸ばそうとしない。

 

ふいに手塚の中に恐怖が生まれた。

このまま自分の身体はどうなるのだろう、と。
今も身体を駆け抜けるとてつもない快感、この先にあるのは何なのか……?

この快楽に我を失ってしまうことが怖かった。

それを感じた瞬間、手塚は叫んでいた。

 

「やめろっ!」

 

 

「もう……、いや、だ……」
小さく首を振って手塚は目を閉じた。
「……もう、俺は……」
乾の目の前で手塚の目尻から涙が零れた。
それを受け止めるように、乾は手塚の目に唇を寄せる。

「そうだな」
唇を寄せたまま乾はそっと呟いた。
「怖いよな」
その言葉に手塚は弾かれたように目を開く。
そうして両手で乾の頬を挟んで自分から彼の唇を離した。

「乾……?」
その瞳はなぜか哀しげな色を浮かべていた。
眉も寄せられ眉間には小さなシワさえ見せている。
「乾」
どうしてそんな顔をしているのかと問いかけたくて、もう一度その名前を呼んでみる。
すると乾の口元が僅かに緩んで微笑んだように思ったけれど、瞳の色がそのままだったためその笑顔は手塚の胸を余計に締め付けただけだった。

「手塚。自分で選んで」
「……なに、を……?」
「怖いのならやめるから。いつものように、ちゃんと触ってあげるから」
途端に手塚は眉を顰めて唇を小さく噛んだ。

ここまで一緒にきたくせに、扉の前まで一緒に歩いてきて一緒にノブに手をかけて。
そうして少しだけ扉の向こうを覗かせておいてから、あとは自分で選べと言う。

―― どうして、このまま一緒にいこうと言わない……?

 

「お前は、卑怯だ」

きっと睨みつける手塚の瞳を受けて、ふいに乾の表情に優しい色が浮かんだ。
汗の浮かぶ手塚の額に口付けて、それから唇に口付ける。

「手塚」
その言葉とともに再び乾が身体を動かし始めた。
「手塚……、手塚……」
何度も繰り返し名前を呼びながら、乾は口付けを与えて身体を揺らす。

再び息も絶え絶えになるような快楽の波に呑まれながら、それでも手塚は必死に乾の背中に腕を回して繰り返される言葉を逃すまいと耳を澄まそうとしていた。
しかしそれさえも次第に耳に届かなくなってくる。

いつの間にか手塚自身が快感を求めて身体を揺らし、ただ乾と一つになっているのだと、それだけしか感じることができなくなっていた。

 

 

たった一度の吐精だったのに、それは今までにないくらいの満ち足りた気持ちと気だるさと、ほんの小さな不安を手塚にもたらした。
ようやく静まってきた息を整えながら手塚はその不安の原因を考えようとしたけれど、今は全く頭の働く状態ではなかったらしい。
すぐに考えることを放棄して、まだ少しだけ早い乾の胸の鼓動に耳を澄ませてみた。

既に乾は眠りに落ちているらしく、規則正しい呼吸のリズムがその胸を上下させている。
その穏やかな寝息にあやされるように、手塚も少しずつ眠りの淵に落ちていこうとしていた。

『そうだな。……怖いよな』

乾の声がふいに頭に浮かんだ。
中途半端に起きている意識はその言葉の意味を掴めそうで掴めずにいる。

―― 乾……?

手塚の意識の一部分が強引にも目を覚ませと言っていたけれど、とても眠りの誘いに逆らうことはできない。

「乾」

小さな不安を打ち消すように、手塚は重い腕を伸ばして乾の身体を抱きしめた。

「乾……、乾……」

何度も乾が自分を呼んでいたように、今度は手塚がその名を繰り返した。
静かな寝息と自分の呟き声の中、手塚の瞳は閉じられ、彼の呼吸もまた静かな寝息へと変わっていく。

 

 

 

そうして手塚がその不安の正体に気付いたのは、もう少し後のことだった。

 

(2.9.2004)

 

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